I‘M FREE・・・

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myselfe ~風になりたい~ いつもありのままの自然体でありたい


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やっと、先の事、離婚後の私の人生について考えられる様になってきたので、


まず一番大事な事は、今後の自分の生活、そして人生の立て直しですね。


今迄の自分は、自分の事や家庭全般はだいたい一人で頑張り、誰かに頼るという事に抵抗や遠慮を強く感じる性格でした。


ですが、この性格を変えたいと思っています。


誰かに頼る事、手助けを求める事が出来る人になりたいと。


ひとりで生きる為には必要な事なのだと思います。


そこで、まずは、就職活動をするにあたり、公共機関のキャリアセンターに連絡をしてキャリアコンサルタントの方と面談しました。

その方が、これから担当者となって、就職出来るまで色々なアドバイスをして下さるそうです。


診療内科に通院中、離婚問題の最中などの諸事情を伝えた上で就職活動を始めようと思える様になったと伝えました。


キャリアアドバイザーの方から、「大きな前進ですね。では焦らずゆっくり、私達を頼って欲しいです。これから人生の立て直しを始めましょう。」と優しい言葉を頂きました。


心強く思えてウルウル泣くうさぎしてしまいました。


ひとりきりで肩ひじ張って頑張らなくても良いと思わせて下さいました。


一つ一つ前進し、私の人生を立て直していきたいです。


世間では、熟年離婚した場合は女性の方が痛手が大きく、その後に路頭に迷う人が多いと言われていると思います。


扶養範囲内の働き方をしてきたので、年金も少ないし、体力の低下、適応能力の低下も実感しているので、私も正直この先の未来がとても怖いですけれども、

そうならない様に弁護士さんが導いて下さると思っています。


現夫は、私が弁護士さんをお願いするとは夢にも思っていなかったでしょう。


私の体調や精神状態など無視し、私と面と向き合わず、ラインで自分の離婚の意志だけを何度も一方的に伝えながら押し切り、弱り果ててた私に自分の都合良い条件を承諾させて早く離婚を成立させたかったと思いますよ。


長期単身赴任の夫婦の離婚率90%という数字を見た事があります。

うちはそうならないぞ!と思っていましたが90%の一組になりますね。


そんな人と結婚した私の自業自得なのですが、そんな人だとわかって、この先の残りの時間を共に過ごさなくてすむ事に気付かせもらえて、ある意味良かったのかもしれません。


人生という時間は限られているのですものね。


この先路頭に迷わない様に、亡き両親が守ってくれると思いながら、人を頼り、周りの方に手助けをお願いしながら、人生の立て直しをしていこうと思います。



久しぶりの更新、

そして今年初の更新です。


一昨年、昨年は色々有り過ぎました。

想定外の事や突然の出来事ばかりでした。


今が底辺だ、来年からは上る事だけ考えて生活して行こうと思いながら年越しをしました。


長男と2人で静かにお正月迎えました。

人生ゲームを何回やった事か。

2人ともに運気を上げ様と、喪中でありながら元旦に2人で初詣に出掛けました。


次男夫婦は、移住サポートを利用して、年末前に関東から佐賀県に移住しました。


そして、年明がけてからの先日に

車と残りの荷物を取りに戻り、

一泊して翌日に新生活先に戻りました。


2月に産まれる初孫を抱く事はなくなりました。


2人で決めた縁もゆかりも無い新天地で、支え合いがら、初出産し親になって、家族になって、仕事について、しっかり子育てと両立して地元に慣れながら生活していってくれる事を願うばかりです。


奇想天外な2人のこれからの人生に幸あれ。



そして、長男4歳、次男2歳の時に家族4人で入居してきた我が家には、今は私独りとなりました。


これからおひとり様人生の始まりです。


自分の為だけに生きる時間を与えられたのは初めてかもしれません。


少しずつ心が安定してきていると感じる様になってきました。


夫との決着はまだ先になると思いますが、私に非が無いのだから、わがままな離婚理由にひるむ必要なんてないのだから強気になろうと思える様になりましたし、何より、長かった結婚期間に未練を感じなくなってきました。


過去への執着が消え、先を考える力が生まれてきました。


もの凄い心の進歩だと思います。


一抹の光を感じ、暗い長いトンネルを抜け出し、目標という言葉が頭に浮かび、持つ事が出来ました。


自分の為に仕事をしようと思える様になり、今年の目標は長く勤められる仕事をゲットする事です。


おひとり様人生のスタートに応援を宜しくお願いします。

少し前までは、

空家となってしまった実家を地道に片付けようと頑張っていました。

が、体力の限界を感じて業者さんに依頼する事に方針転換しました。


公共交通機関で片道2時間強の遠さと、断捨離とは無縁の世代の親の一軒家を片付ける事は途方もない作業で心が折れました。


実家といっても私はそこに20歳から結婚して出るまでの期間の2年しか住んでいませんが。


ですから、想い出という想い出は有りませんが、両親が永く暮した家で私の知らない両親の歴史がわかる物が沢山見つかりました。


父母が一生懸命に生きてきた証の物が


そんな証を見付けていくうちに、

心からの感謝とお疲れ様でしたと労う気持ちでいっぱいです。


無口で娘達とはあまり会話をしない父の手作り手帳を見付けて大泣きしました。


表紙が5歳と3歳頃の私の息子達(孫は私の息子達だけでした)の2SHOT写真を貼り付けて有りました。

産まればかりの息子達を見てるだけで抱かなかったのに…

きっと、こわくて抱けなかったのでしょうね。



そして、私や妹の物でも処分していない物も出て来て、懐かしさを感じました。


捨てる作業をやめて、大事な物や持ち帰りたい物を選別して持ち帰りました。


その中で、私と妹が二人ともに持ち帰りたかった本が有りました。

私が読み返したら妹に渡す事になりました。


それがこれです。

共通のファンでした。

ゴールデンコンビの映画はほとんど観たと思います。


これからもお幸せに。

お孫さんの誕生、おめでとうございます。


直筆の最後「亻幸せになります。」が、
力強さを感じます。

以前に放送されたラストコンサートも録画してあります。


息子達の負担を減らす為に、
私の物は自らの手で処分し、
これからのおひとり様生活に適した部屋にする為に、物を減らしていこうと決意しました。