僕の知人の大学教授が、がんで亡くなる前にこんなことを言った。死ぬことがわかってから、合理的に理解できないスピリチュアルなことが周りでいっぱい起こっていることに気がついた。常識に囚われていると、そういうことに気がつかないのだろうね、と ━━。魂魄も、それに気づく人がいてこそ、この世にあらわれるのだろう。東北には、西洋的な常識に囚われない土壌があるゆえに、不思議な体験が日常茶飯に起こるのかもしれない。
この世に存在するのはモノだけではない。ある人を慈しめば、慈しむその人の想いも存在するはずだ。この世界を成り立たせているのは、実はモノよりも、慈しみ、悲しみ、愛、情熱、哀しみ、憂い、恐れ、怒りといった目に見えない心の働きかもしれない。だからこそ、人の強い想いが魂魄となって、あるいは音となって、あるいは光となってこの世にあらわれる ━━。なんてことを、僕は夢うつつに妄想しながら、被災地で起こった不思議な体験のことを振り返っていた。
(「魂でもいいからそばにいて」奥野修司)
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今日は前回の続きです。
東日本大震災でお母さんを亡くした陽子さんのお話です。
↓前回の記事
「あれは2014年のお盆でした。昼間はアルバイトで忙しく、とても墓参りをする余裕がないから、いつも夜6時とか7時に行くんです。暗いのに怖くないかって? いいえ、ちっとも。仲のよかった人がいっぱい空の上に逝きましたからね。今もそうですが、亡くなった方たちを供養するために、仕事が終わってからお墓でケーナを吹くんです。墓地に行くと、まず皆さんに挨拶します。
『すみません、ちょっと賑やかにしますので聞いてくださいね。母にも聞かせてあげたいので』
画像お借りしました
千の風になってじゃないけど、母にもぜひ聞かせたかったのです。拍手してくれているのを想像しながら吹き終わると、『 いやあ、こんなにお客様がいっぱいいらっしゃるところで吹けて、私はなんて幸せなんでしょう 』なんて一人でしゃべっています。知らない人が見たら、頭がイカれたと思うでしょうね。
あの日は、車に乗ったまま吹いていました。ふと見たら、茶色い猫が尻尾をぴんと立ててあらわれたんです。最初は野良猫が歩いているのかなと思ったのですが、次はトラ猫が来て茶トラが来て、やっぱり尻尾をぴんと立てているんです。三匹、四匹、五匹と続くのを眺めていて、ハッと気がつきました。自分は車に乗っているのに、猫たちは車の窓の高さと同じところを歩いている……。下が暗いからわからなかったんです。待てよ、この子たちに見覚えがあると思って見たら、自分が世話した猫たちもいます。そうじゃない猫もけっこういました。もしかしたら、私が世話した猫たちの友達かもしれません。
ケーナを吹くのをやめると、みんな尻尾を立てたまま、まるで動く歩道に乗っているように流れていきました。何匹も、何匹も……。私は車から、ぼんやりとあの子たちの穏やかな表情を眺めていました。その先にふわっとしたトンネルのようなものがあって、みんなそこに吸い込まれていくんです。あれはトトロの世界ですよね。
猫たちが去った後、なんだかあったかいものに触れたというか、ふわっとした感じの余韻があって、ほっとしている自分がいました。世話してくれてありがとうと言うために出てきたのか、それとも今もあなたと一緒にいるよと伝えたかったのか、なんだかおとぎ話の世界にきたようなお盆でした。」
不思議な話ですね…。
でも実は、その後も猫たちは、さまざまな方法で陽子さんの前にあらわれるのだそうです。
重さや匂いでその存在がわかるといいます。
そしてケーナを吹くと、必ずどこかからあらわれるのだと。
足元でまとわりつきながら、足の上に乗ったり。
鈴の音がしたり、冷たい鼻先で陽子さんのほっぺをつついたり。
姿は見えないけど気配が感じられる。
それだけを聞くとにわかには信じられないような出来事でも、大事に可愛がっていた猫たちとの絆がある陽子さんにとっては、嬉しくあたたかい体験になり得るのでしょう。
愛する大事な人、大事なペットを亡くした方には共感できる部分が大きいかもしれません。
陽子さんはケーナのコンサートにも初めて出演し、そこでも強烈な出来事に遭遇します。
共感される方、興味を持たれた方は、本を読んでみてください。
これは、私が南米フォルクローレのケーナの音楽に浸ってブログの記事を書いていた時に出会った、ケーナ繋がりの不思議なお話です。
これにておしまいでございます。
お休みの方も多いと思いますが。
ご家族や大切な方とよい時間を過ごされますように
今日も最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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