私は誤解される事が大嫌いで怖かった。
誤解される時それは、だいたいが決め付けられていて相手からは、いつも弁解を聞く耳すら持たない。という態度を感じていた。
始まりは親や、クラスメイト。
このクラスメイト事件は、凄くて
偽の証拠を捏造までされた。
笑っちゃう位に酷い奴だった(笑)
そもそも、ソイツを嫌う嫌わない以前に
余り関わりが無く、嫌われる覚えが無い程に
親しくもないヤツだった。
今覚えば内容も、どって事無い話だ。
小学生だもんね。
勘違いされると、信じてもらえないって気分は絶望し弁解と抗う。
だけど強く、信じて貰えないもんだと信じていた。
誤解される自分が嫌いで、
誤解する人が嫌いだった。
そんな私の
親友と仲良くなるキッカケが不思議だった。
なんの身に覚えもない濡れ衣を着せられた事、そして周りに勘違いされた事がキッカケだった。
何かしたの?と、聞かれたのに
不思議と疑われてる!が発動しなかった。
ハッキリと確かめに来てくれた。
そのおかげで弁解出来る場所を貰えたと思えた。
そうして私は今、夫に
「好きなだけ勘違いして良いから、気持ちを教えて欲しい。勘違いを見つけたら、又、少し貴方の心に近づける伸び代だって思えて嬉しいんだよね。」って言えた。
勘違いを教えて貰えるというのは、勘違いを解くチャンスが貰えるという事。
お互いに信頼を強化が出来るチャンスになったんだ。
私、強く成ったよね。