私は家族を求めてる人で
家族の事になると一番アツくなってしまう。
そんな冷静で居られなくなる自分が嫌で

ドライに客観的に家族を見れる、
きょうだいが、ずっと羨ましかった。

一見、冷たそうで実はソレこそ、ありのままのその人を見てる。

常識や自分と照らし合う事なく、
そうなんだ。と、ただ耳を傾けれる。

それだけなのに、聞いて貰う側は安心する。

承認欲求が満たされるのかな?





ドライになれて羨ましい。

感情に振り回され、まるで目の前の人の出来事を疑似体験でも、してるかのような痛みに
いつも疲弊していた。


ドライな様に、ちょっと冷たくない?
なんて、思う時もある。


なんて事は無い。

冷たいのは私だったのかもしれない。


自分の親を気に食わなかったら子供を
見捨てる人だと認識してたのだから。

まるでそれが真理だと信じてたから
私は捨てられたくなくて、怖くて…怖くて………


顔色ばかり見ては

体と頭を硬直させてたんだから。

それに気が付く流れになった、コレ下矢印
自分の親を気に食わなかったら子供を
見捨てる人だと勝手に怯えてたなんて。

確かに両親は毎週夫婦喧嘩な家で
父は直ぐ母に出ていけ‼️と言い
私は蹴られたり、お腹を殴られては


意図も簡単に安全という、はしごを
外される様な感覚だった。

そして

私という存在は、
そんな風に扱われる価値の人間なんだ

と、思い込んだらしい。


理由は、どうであれ私が先に、
あの人達を

子供を簡単に見捨てる人
と思ったんだな。

その勝手な自分の思い込みに、
私は、ずっと縛られてきたんだな。

そのコントに今、気が付いて
泣けています。

なぁ~んだ。そうだったんだ…って。


そぅ思い込んで彼らを色眼鏡で
見ていたのは私だった。

色眼鏡😎かけてたから
私の見る世界は
白黒だったんだ。