長女が
テニス部に入り、
3年生の
試合を見たり、
3年生の
引退が近づき、



「私も試合に出たい!」
「上手くなりたい!」
「勝ちたい!」
そんなことを
言うようになってきた。
←獅子座だからね。笑



劣等感がある私は、
「勝たせてあげたい」
そう思い←
YouTubeを見る毎日。



知識が
深まるほどに、
娘の問題点が
見えてきた。



で、
どうすればいいかも
見えてきた。
←双子座らしい。笑



今までは庭で、
ただ楽しくラリーを
していたけど、
問題点を改善すべく
練習を始めた。



「楽しくない...」
長女が言った。

 

 



楽しい
→もっと

上手くなりたい
→試合に出たい
→勝ちたい
→でも試合に出れない
又は負けた
→悔しい
→どうすれば
上手くなるかを考える
→情報を集める
→実践する
→上手くなる
→選手に選ばれる
又は勝つ
→成功体験を得る
→もっと

上手くなりたい




子どもが
経験する前に、
先回りをして
その構図を崩すのは、



自尊心が低く、
自己価値が皆無で、
劣等感が強い

親だ←私。笑

 

 

子どもの成功体験を

先に摘んでしまうのは、

ほかの誰でもない

親なのだ。



こうなることが
分かっていたから、
娘たちに習い事は
させなかったのだ。



私の劣等感を
拭うために←
「もっと
上手くしてあげたい!」
そう願うと、
娘のダメな部分が
見えてくる。
→ダメな部分を指摘する
→自信をなくす
→楽しくない
→練習しない




気分転換に
買い物に行った。



いつも私に
付いてくる娘たちは、
真っ先に
猫の日用品の
売り場に行った。



実は
買い物の前に、
我が家の庭に、
近所の猫が
うずくまっていた。



娘たちはネットで、
その件について
調べていた。



猫が
元気になるために
必要なものを、
調べていたのだ。



もうこれで
充分じゃないか。
こんなに優しく
育ってくれて、
もう充分じゃないか。



いるだけでいい。
元気に育って
くれているだけでいい。



娘たちに対して
そう思いたくて、
でも思えなくて、
どうしても
「こんなふうに
育ってほしい」
そう願ってしまう
私がいた。



だから
この12年、
自分を
見つめてきたのに、
最近の私は

どうだろう。



きっと私自身が
「変化のとき」
なのだろう。



私は本当は
羨ましい。



習い事をさせる
一生懸命な母親たちが
羨ましい。



習い事の送迎に
一生懸命になる
母親たちが、
羨ましい。



私には、
子どもの
気持ちなんて、
どーでもいいように
見えた。



「子どものため」
という名の
「自分のため」



習い事は、
私には
そう見えた。



きっと
私自身が
そうなのだろう。



世の中の
お母さんたちを
鏡として、
私の心を中を
見たのだろう。



本当は私が
そうしたかった。



自分を
見つめるよりも、
子どもに
期待したほうが、
100倍
楽だから。



「子どものため!!!」
そう
思い込んでいれば
済む話。



他者からは
「素敵なお母さん」
と言われるし、
万々歳じゃん。



娘の自尊心なんて
どーでもいい。
娘が活躍することで
得られる
私の優越感の方が大切。



本当は私は
そう思っている、
のかもしれない。



結局私は、
自分の母親と
同じことをしている。



そこに
気づいた私は
どうするのか。



私はわたしを
見つめていこう。

 

 

私は

自分の人生の、

何に納得して

いないのか。

 

 

私はわたしを
見つめていこう。