母ちゃんは一年に1〜2回、東北の実家へ帰る。
母ちゃんの両親は80を過ぎて、2人で暮らしている。近くに居る姉が毎週実家へ行って様子をみに行ってくれている。というか、子育てが終わって時間を持て余している姉は、母の手作り料理を食べたり両親から話し相手をしてもらいに行っている。
弟は隣の県にお嫁さんと住んでいるが、なかなか実家には顔を出さないようだ。
3年前に80歳の両親は見事に家を建て替え、2人だけで引越しも立派にした。
両親は、昔の家にあった広い庭の花々との別れを惜しんでいたが、新しい家の狭くなった庭には薔薇やカーネーション、紫陽花やフキなど新たに挿し木されしっかり根を張っていた。
たくさんの命が新たに成長し始めていた。
庭が狭くなった分は、あちこちにプランターを置いて花を楽しんでいるようだ。
いつも元気な母ちゃんの母が、帰省中に体調を崩して、救急病院で点滴をする事になった。
母ちゃんは病院のベッドで付き添いをしながら、寝ている母をずっと見ていた。
こんなに小さな体で3人の子どもを産み、誰も頼らず子育ても家事もして、母ちゃんの家族を守ってくれていたんだな。
孫達にもたくさんの愛情を注いでくれている。
体は小さいが、誰もが頼る偉大な存在だ。
母の凄いところは、いつも笑っているところだ。
泣いた所を一度も見た事がない。
愚痴や文句も言わない。
母は、兄弟や親友を若い時から次々に亡くしてきたが、子供達の前で一度も涙を見せなかった。
私達子供達の旅立ちや結婚式の時も、いつも笑顔だった。
母ちゃんや姉が、悩んでいる時も明るく『大丈夫、大丈夫』笑っている母だった。
母ちゃんは産まれてから50年間、母の愛情と支えがあるから、頑張ってこれた。
母は、東北から関東へ帰る時にいつもおにぎりと卵焼きを持たせてくれる。
『コンビニで買うからいいよ。作るの大変だから休んでて』
と母ちゃんが言っても、気づくと母は用意してくれている。
昨日も高速道路の渋滞を避けて朝の4時前には実家を経った。
朝日が出た頃に休憩がてら、母の作ってくれた卵焼きとおにぎりを食べるのが恒例になっている。
母ちゃんが子供の時から変わらない味。
母ちゃんはこの瞬間にいつも胸が熱くなって、子供に戻って、両親の元で一緒に暮らしたくなる。
遠くに嫁いだ自分の人生を悔いて、近くに住んであげられない両親に申し訳ない気持ちで苦しくなる。
目頭が熱くなるけれど、父ちゃんや子供達に気づかれないようにごまかし、玉子焼きを呑み込む時にその感情も一緒に呑み込む。
そうやって気づいたら、母ちゃんも50を過ぎていた。幾つになっても、優しい両親の愛情に触れると、一瞬で子供の頃に戻ってしまう。
両親に何もしてあげられない。
唯一できる事は、心配をかけず幸せに暮らす事だと思っている。
東北の緑がどんどん減り、コンクリートで囲まれた灰色ばかりの街にもどり、母ちゃんはまたいつもの生活に気持ちを切り替えていく。
また次に、父、母に会う日まで
母ちゃんは
妻として母として
頑張るからね
お父さんお母さん
体を大切にして
長生きしてくださいね
年々、親の大きさありがたみを感じるものですね。若い時に気づく事はできませんでした。
娘ちゃんや、末っ子ちゃんの我儘さや甘えに怒ってばかりの母ちゃんですが、今はまだしょうがないのかもしれませんね