こんにちは
今日は一日、末っ子ちゃんのサッカーの運転手やお茶当番のアラフィフ母ちゃんです⚽️
昨晩は娘ちゃんから爆弾が飛んできましたが、母ちゃんのイライラは娘ちゃんには返さず、ひたすら黙って聞く事ができました。
ブログを読んで下さっている方のおかげです
この場が出来てから、叫んだり嫌味を言う事が減ってきた気がします
今日は父の日ですね
今日は私の父の話をしたいと思います。
私の父は80を超えた今も、母と仲良く2人で暮らしています。
結婚して関東に嫁いできた私は、年に1〜2回しか会う事ができなくなりましたが、実家近くに住む姉が、ちょくちょく会いに行ってSNSで、両親の元気な様子や母の手作り料理やらの画像をあげてくれているので、いつも近くにいる気持ちでいられます。
私は50年間生きてきて、父より優しい人にも強い人には出会っていません。
長く生きれば生きる程、父の大きさに気づいていきます。
父はいつも母への感謝を言葉にし、私達子供に伝える人でした。
『お母さんの料理は当たり前じゃないんだよ。こんなに、美味しい物を毎日たくさん並べてくれるお母さんは居ないんだよ。』
『お父さんはね、すぐにマイナス思考になる性格だから、いつもお母さんの明るさに支えられてるんだよ』
『お父さんは長生きしないかもしれないから、お母さんを大事にするんだよ』
私は両親の夫婦喧嘩を50年間一度も見たことがありません。
父が、イライラしたり怒鳴ったり、母を責めたりしたのも一度も見た事がありません。
父は美味しい物があると、自分は食べずに『食べな』『食べな』って周りの人に勧めてばかりいる人でした。
仕事が休みの日は、車を運転できない母のリクエストで買い物に連れて行ったり、私達を遊びに連れて行ってくれました。
母の手作り弁当を持って近くの公園へ。夏には泊まりがけで海水浴。冬にはスキーにスケート。
職場の人と行って美味しかった高級レストラン。父が時々仕事の人と行く、安くても美味しい鉄板焼き屋さんやラーメン屋さん。
一度キャバレーにも連れて行ってくれた事もありました。
北国に住んでいた私達の街に、新幹線が開通した時には、新幹線に乗せて東京まで連れて行ってくれました。
父は自分が幸せだと感じたものは、全て子供にも与えてくれました。
父は自分の身内だけではなく、母の親戚も本当の家族のように慕い、母の身内が病気になった時は献身的に世話をしていました。
最近では、ご近所さんも皆高齢になり、ご近所さんのお世話もしているようです。
私が実家へ帰ると、車で気づいたご近所さん方がすぐに集まって、採れたての野菜やお菓子をたくさん届けてくれます。
私はこれが当たり前だったので、全て普通だと思い、幸せだと思う事も感謝する事もなく育っていきました。
反抗期や思春期の時は、人前で母を褒める父や、しつこく『食べて食べて』という父をうざったく感じていました。
私の進学や就職についても、父も母も全て私の好きなようにさせてくれて、反対した事はありませんでした。
私が結婚する時も、私が選んだ人だからと相手に敬意を持って接してくれました。
嫁いでから私が困らないように、立派なタンスやドレッサーを選び、必要な調理器具や食器や布団も地元で一番良いデパートで最高の物を揃えてくれました。
30年経った今も、立派なまま使われています。
大奮発して着物も揃えてくれました。
30年前は、もう花嫁道具を揃える人は少ない時代でしたが、両親は精一杯揃えてくれました。
当時は深く考えずにいましたが、父と母の愛情は、嫁ぎ先のご両親に家具や着物を通してしっかり伝わり
『こんなに揃えてくれるなんて、立派なご両親だね。大事にそだてられたんだね。』
と言っていただけました。きっと父も母も、私が嫁ぎ先で肩身の狭い思いをしないように、可愛いがってもらえるようにという思いを込めて、持たせてくれたのだと思います。
私が嫁ぐ日の朝に、お金は助けてくれるから大事に使うんだよ。と父が貯めておいてくれたお金を封筒に入れてそっと渡してくれました。
数日前に、父と母と2人から既に必要なお金を受け取っていましたが、それとはまた別に父が渡してくれました。
私が嫁いでからも、父はいつも私の心配をしてくれました。
会いに行き別れる時は必ず
『体だけは大切にするんだよ。〇〇なら頑張れるから』と声をかけてくれました。
私が結婚生活で行き詰まって苦しくなった時に電話をすると、父は厳しい声で『がんばるしかないんだ』と言って、私がどう頑張れば良いかの知恵を与えてくれました。後から私に厳しく言い過ぎて父が気にしていたと、姉から聞きました。
本当は誰よりも優しい父は、『帰っておいで』と言いたかったのだと思います。父の励ましと、いつでも帰れる場所がある安心感で今まで頑張ってこれました。
私の主人が仕事のストレスから、ギャンブルにはまり荒れていた時期がありました。毎日のように私に怒鳴りちらし、知らない土地で育児も家事も全て一人でやらないとならなくなり、私は主人に憎しみの感情ばかり大きくなっていきました。
泣きながら父に電話し、夫を叱ってくれるように頼みました。
父は私の主人と会うと、主人の仕事の苦しみを何時間もひたすら優しい顔で聞いてあげていました。『辛い中、よく頑張っているよ』と何回も主人に声をかけていました。
私も大人になり家庭を持ちました。
父や母のような夫婦関係になれません。
父や母のような親にもなれません。
当たり前だと思っていた、平穏で明るい家庭を作る事がこんなに難しい事だと知りませんでした。
どれだけ幸せで恵まれた家庭で育ててもらえていたかを、大人になり初めて気づきました。
父は会社を退職した後も地元の自治体で、労働相談のボランティアをしています。
持っている知識で、困っている人達にアドバイスをしています。数年前には、父が担当した人が、2万人を超えたと話していました。
自分以外の幸せを自分の幸せのように感じられる父を心から尊敬しています。
毎年父の日には私の住む街にある、工場直売所のお菓子を大きなダンボールいっぱいに詰め込んで送っています。
父はここのお菓子が好きなのですが、私が持っていくと、お世話になっている人に配ってばかりいました。
ばら撒かないで、父に食べてほしいと思っていた時期もありました。
今は、父の気持ちが分かるので、父が思う存分、配れるように、たくさんたくさん詰めて送っています。
父も80を超え、いつまで元気でいられるか分かりません。
今年は、初めて手紙も添えて送りました。
お父さんは世界一
強くて優しい
お父さんです
お父さんの愛情があるから
頑張れています
恥ずかしい気持ちもありましたが
伝えられてよかったです
父が生きているうちに
きちんと言葉で伝えたいと思っていますが
涙もろい父を相手に
父に似て涙もろい私が伝えるのは
相当難しいと思っています
でも生きているうちに
ありがとう
お父さんの子供で良かった
とだけは伝えたいと思っています
さてさて我が家の旦那様、子供達のパパさんは
日曜日も仕事へ行って頑張っています
アイス好きな旦那様には、普段よりはちょっと豪華なアイスが待っています
父の日、喜んでくれたら嬉しいです
今日は怒らず機嫌良く終わってくれますように
ぶじに一日が終えますように