悲しいお別れを決断してからの入院、出産までの流れです。.
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12週を過ぎた場合は中期中絶になり、薬剤で陣痛をおこし、分娩という形になります。
1月24日に入院。お昼13時子宮頸管を広げる処置。
ラミナリア2本。初めは思っていたより痛くなくて処置中、呼吸に意識して乗り切りました。
夕方 ラミナリア6本
これは痛かったです。
お腹が張ってるような重いような感じで眠れなかったです。
1月25日 朝、昨日の6本が痛かったので、医師に話しロキソニンを飲みました。その後ラミナリア12本
入れりより抜くほうが痛いです。
お腹がはって苦しかったです。
夕方、ラミナリア17本。激痛でした。処置中出血もあり、本当に辛かったです。
1月26日 朝9時に17本のラミナリアを抜いて、陣痛薬を入れる。
9時30分くらいからお腹に激痛。陣痛感覚で徐々に痛みがくると聞いていましたがいきなり、激痛。初めてでわからなかったですが、これから痛みがもっと増すのかと思い、本気で出産なんか無理だと思いました。
痛過ぎてじっとしてられない、お腹さすりながら病室を歩きしゃがんだり立ったり、ずっと痛みが続き、もう無理だ。我慢できない。まだ30分しかたってないがナースコールをしました。
看護師を待ってる間も痛みはMaxでしたが、しゃがんだ瞬間プチって感じたような気がして、その後痛みが少し楽になりました。すぐに看護師が車椅子を押し病室に来ましたが、歩きます。といい、歩いて分娩室へ。
分娩ようのベッドではなく、少し高い真っ直ぐな硬いベッドに寝てくださいと言われ、お腹の痛みを我慢しながら心地悪いベッドに、仙骨におされるような感じがあり、なんかいきみたくなる感じかあり、先生や看護師さん、研修医もバタバタとあつまりだし、
先生がもう出てきてますねっと。
腰の位置を下げるよう言われてお尻を浮かせた瞬間に産まれました。
10時8分。
周りはバタバタとしていましたが、私だけ時が止まってるような感覚で天井をみていました。
終わったんだ....。
そしてすぐに現実に。医師2人がモニターを見ながらお腹を強く押していました。その後胎盤が出てきましたが、なんだか話をしながらしばらくお腹を押すのが続き、処置終了。
すぐに、後陣痛なのが、お腹の激痛と吐き気と寒気で、2時間くらい苦しみました。
その後部屋に戻りましたが、アドレナリンが出ているのか、すごく身体がハイな状態で落ちつかなかったです。今までにない感覚でした。
しばらく休み身体も落ちついた頃に赤ちゃんに会いますか?っと看護師に聞かれました。
私がいた病院は、あっさりしていると言うのか、赤ちゃんについての何の話もありませんでした。
そして、部屋を移動して、医師がシルバートレイに置かれた赤ちゃんを持ってきてくれました。
15週1日 13cmの78gの小さな小さな可愛い赤ちゃんでした。
涙が止まりませんでしたが、お別れをしました。
全てが終わり心が空っぽに。ただ涙が出て止まらない。本当に辛いけど、泣くのは病院だけ。家族に心配かけないように、気持ちを切り替えなければっと思っていました。
1月27日 退院。
12週以降は死産届と火葬手続きをしないといけません。全ての手続きを行い、退院して火葬場へ向かい両親と私で赤ちゃんとお別れをしました。
両親が心配しているのがわかるので、なんとか泣かないようにするのが、とても辛かったです。
ホルモンの影響もあるかもしれませんが、心が空っぽで、赤ちゃんへの気持ち、悲しみ、罪悪感、辛くて涙が止まらないし、心をどう保つのかがわからずに苦しい日々でした。