与島を出た後は一気に備讃瀬戸大橋を走り抜け、坂出へ。
坂出インターを降りて向かった先は瀬戸大橋記念公園。
そう、与島から見たあのタワーのある公園です。
かなり広い公園ですが、僕たちは一番海側の北駐車場に車を停めました。
やはり海に伸びる橋を観たいですからね。
駐車場から海岸沿いの広場へと向かいましょう。
木々の合間から瀬戸大橋がのぞきます。
おお、近い。
この場所が一番間近に橋を観ることができるのかもしれません。
広場の一画には、瀬戸大橋の建設時、実際に使用された機器などが展示されているスペースがありました。
これはアンカーボルト。
こちらの八本足のロボットみたいなのはRECUSといって、無人歩行のできる海底調査用の潜水機だそうです。
この他にも、付近を航行する船舶に作業海域を知らせる大型ブイ。
吊橋を支えるハンガーロープ引込み装置など。
いろんな技術が使われているのですね。
瀬戸大橋建設のために開発された物も少なくないんだろうなあ。
そしてここからみた瀬戸大橋。
いやあこれもまた見事。
美しい。
こちらは野外型の多目的ドーム。
ドームの中から見る瀬戸大橋もすばらしい。
また一味違って見えますね。
ドームの後ろにはこんなものも。
これは「どだま獅子」というオブジェ。
この公園の守り神だそうです。
橋脚となった島々の石を集めて製作されました。
作者は流政之さん。
僕は存じ上げなかったのですが、その作品がニューヨーク近代美術館に永久保存作品として収蔵されるなど、国際的評価の高い彫刻家です。
若い頃はアメリカで活動されていましたが、帰国後は高松市を拠点とされていました。
「讃岐うどん」の命名者でもあるそうです。
2018年に95歳でお亡くなりになられました。
こちらの建物は道の駅も兼ねた瀬戸大橋資料館。
入り口前の顔出しパネルは坂出市のイメージキャラクター「さかいでまろ」君です。
「おむすび山のさぬき国司」なのですって。
モデルはおそらく菅原道真。
右大臣になる前は讃岐国の国司だったそうですから。
国府も坂出にあったそうですよ。
気になるのは「おむすび山」
どうやらあの飯野山のことのようです。
僕はお茶碗に入れたご飯をひっくり返したようだと思っていましたが、おむすびだったんですね。
そう言われると、そのほうがしっくりくるようにも思えます。
資料館を海側に回りこむと、瀬戸大橋を望む場所にこんな銅像がありました。
これは大久保諶之丞さん。
明治時代の香川県議会議員だった方です。
瀬戸大橋の架橋を最初に提案されました。
それは明治22年のこと。
明治ですよ、それも明治維新からまだ20年余りしか経っていない時代にです。
実際に香川県議会が瀬戸大橋架橋計画を作成し、国に陳情したのは昭和33年。
この方が提案してから実に70年後のことです。
すばらしい発想と先見性をお持ちだったのですね。
ちなみにこの方、もともと大名主の息子さんだったそうですが、四国のインフラ構築に尽力されました。
工事費用の不足分も私財でまかなわれたそうです。
おかげで彼の死後、残された家族はその日の食事にも事欠くほどの貧しい暮らしを送っていたとか。
裏金作りにばかり腐心している今の政治家に爪の垢でも飲ませたいくらいですね。
台座には彼が好んで謳った都々逸が刻まれていました。
「我がものの 人のもののと云うものの ものは世間のもののものなり」
「笑わしゃんすな百年先は 財田の山から川舟出して 月の世界へ往来する」
今の時代にこそ、こういった高潔で壮大なスケール感のある政治家が現れて欲しいものです。
まあ無いものねだりは止めておきましょう。
虚しくなるばかりですから。
さて資料館の裏に回りこむと、今度はハートのオブジェ。
橋脚とアンカレイジをはめ込んでみました。
最後にもう一度瀬戸大橋の美しい姿を目に焼き付けておくことにします。