いろいろ、書いていて面白いので、まだまだしばらく好きに書いていたいと思います
それにしても、にわか知識の上、それって私の感想です!みたいなのも多く、正しい知識などお持ちなら、是非ご教示下さい![]()
何をか面白いかというと
毎日車を走らせる三輪山から畝傍山にぬける飛鳥村界隈にいると、ここに何もない訳がないという、記憶をたどるときの謎解きに似た感覚を想起させられることです
それほどに本当にここは深淵な美しさの佇む場所です✨
渡辺和豊氏は、東北地方から仕事の関係で磯城郡田原本町に住む事になり、東京から訪ねて来られたお兄様に連れらて飛鳥を散策した時に、ここには、何かがあると感じられたそうです。
私は、もっとぼんやり長らくこの地にいますが、同じ感覚を抱き、渡辺氏の書籍を手に取れたことは、とても光栄なことだと思いました
さて、日本の桂離宮が、世界的に着目されたのは、戦後建築家としてドイツより亡命中のブルーノタウトが、桂離宮を褒め称えたことにより、天皇家由来の桂離宮はナショナリスト達に指示され、それ以後日本の建築は、木造建築が主流で、伊勢神宮などの単一的な簡素な表現が持て囃されるようになったとのこと(渡辺豊和氏による)
確かに木造建築は、自然との共生、侘び寂びの文化に通じる精神性とともに美しく調和し強調される。
また、奈良時代以降の仏教文化による寺院の建立物は、繁栄と栄華を物語る
そして今、古代遺跡として評価されるものの多くは、エジプト・アルデア文化期から、ローマ・ギリシア文化期への感覚魂から悟性魂へと地球の大きな変異のあった弥生時代以降のものである
三輪山は、遠く離れた東の端エジプトのファラオとの世界の通信基地の起点、まさに臍の緒にとどまらず世界の臍の緒ともいうべき起点であった
その時代、縄文文化が終焉を迎えたのは、神武天皇の討伐によることであり、湖の水を引き抜き、神殿を壊し、過去の勢力が復権できないようにした。そして、それが、勝者の強さであり新しい時代の幕開けであった。
次世代の覇権者に悉く制裁をかけられることは、いかなる時代を見てもよくわかる事だろう
組織化され科学も知識も持ち合わせていた権力者のいた都が新しい勢力と戦ったのである。それは、まさに世界の最終的な変換点でもあった
だから、日本の古文書は、弥生時代のもので、縄文時代を正しく知ることは、できない
その中で、木造だけを主に語る建築物しかなかったと考えるのは、非常に不自然だというのは、安易でも即同感できる。また、城郭の石造などには、古来、石造文化の高度な技術が、残っており、海を渡る文明の交流があった事が伺いしれるという
というと事は、エジプトのピラミッドさながらの神殿があったかどうかはわからないが、それらが、大和三山の下に埋められているとしたら、どんな物だったのだろう
石造建築の屈強で壮麗で豪華な建築の凄さは、誰もが認める事で、日本には、そんなものがないと、幾許もの建築家が、海外で勉強し、辛酸を舐めたがそれは、歴史の誤謬だと渡辺氏は語っている
人工の山を造り、地下には、大和湖を枯らさないためのカナートもあったと想定される中、そんなに生半可な文化や文明ではなく世界屈指のものであったことは、容易に想像できるのではないだろうか✨
