縄文時代末期、三輪王国の最盛期、三輪山と大和三山の太陽神殿が壮麗な姿を見せていた時、世界がいかな時代様相であったのか
時は紀元前3世紀、インドではマウリア王朝が成立し、アレキサンダー大王とと同盟しペルシアを攻撃した。ササン朝ペルシアの滅亡により、多数のペルシア人が奈良までもくる事により、古代ペルシア文化が渡来した。飛鳥の巨石遺跡は、おそらくその頃の物だと考えられる。
また、それよりもずっと以前より作られた各地の古墳群は、石造でメソポタミア文化を色濃く引き継いでいるという
飛鳥時代のことを漏れなく記されていると言われる日本書紀には、巨石遺跡は一切載っていないのに、一般的に飛鳥時代のものと言われるが、縄文時代には既に石造建築が存在し、弥生時代以降は、逆に一切石造建築が造られなくなったというのが、渡辺豊和氏の理論である
奈良盆地には、政治情勢が動いて止まなかった地域では、前時代のものは、悉く、駆逐される運命にあり、この辺りは、弥生遺跡の多い地域でもある
つまり、日本には、パルテノンやヴェルサイユ宮殿、ノートルダム寺院、ループラ美術館のような壮麗な石像建築は、なかったとされるのが常識の中、日本は、木造建築の優秀さが強調されるが、かつて、縄文時代の大和三山に埋もれてしまった神殿は、石造建築であったと考えられる
こうして、三輪山は、天照大御神を伊勢に奪われ(三輪叢書)、王国と大和湖を神武天皇により討伐され、その栄華の幕を閉じた
三輪は、縄文時代の終焉とともにその勢力を失い、自然と共生し、時に天界を飛び地上界隈との会話をするシャーマニズムな生活の終わりを告げたのである

