子どもの資質において、社会に発信する人間になるための礎として勉強する子と、いわゆる芸術等自己精神性を表現する学びをする子と大きく分けると2パターンあるなと思います。
もちろん2つともミックスして子どもは、学んでいくわけだけど、大人のアプローチは若干違うんじゃないかな?って思ったりしています。
例えば、心の学びの方が多い子で、心の課題をもっていたり、生活の安定性を求めていたりする時は、時には、こっちにおいで!と強く引っ張ってあげることも必要だと思うんですね。個人的には。
なぜなら、溺れそうになったとき、必死で引き上げるみたいな感覚だからです。
それが、余計なおせっかいかどうかは、やってみなければわからないし、これも、ボタンは、押してみたければ押してみればいいみたいな感じで感覚的な話です。
でも、この緊急性の度合いは、本当にひとそれぞれで、だから、お母さんにも、子どもにも○○であろうね。と、一言では、片付けられないと思う。
敢えて言えば、ガミッと言うのは、本当に良くないんだけど、言いたければ、言えばいいし、言わない方が心の闇な人もたくさんいると思う。私も、含めてです。自分を正当化しているところもあるけど、この場合は、学力云々とか見栄が云々の領域は、すでに超えていて、愛憎劇に近いものだと思う。愛がなせる業で、愛の顛末でもある。
でも、その後が、本当に大事で、出てしまった杭をどういう風に修正していくかは、ロジカルであると思う。
あと、私って、こんなに優しくなれるんだな、こんなにご機嫌になれるんだなみたいに、キラキラな自分も知っておくことは本当に大事だなーって、思います。
で、物事の解決は、子どもの成長と同じで斜め上からやってきて、想像がつかないから、考え抜いたら、理想郷を妄想して待つ!です。