こんばんは音譜はな子のお部屋へようこそウインク

 

今日は10年ほど前に亡くなった父への

思いを書きたいと思います

 

私はずっと幼い時から父の感情にふりまわされていました

気に入らないと怒鳴り、容赦なく殴り飛ばされた

子供と同じ夕飯の献立だと怒りだしお膳はひっくり返し

怖くて泣きだすとまた殴られる

すき焼きを食べていても姉と弟にはお肉が入るのに

私には「お前はブスだからネギを食べろ」と言われネギだけの器だったり…

もう本当に大っ嫌いだった

 

そんな大っ嫌いなはずの父に中学生のころ悩んでいた私は

不意に甘えてしまった

優しくしてくれると思ったら「そんな事はどうでも良い」

と言われ呆然としたことははっきり覚えてる

 

そんな父と母は私が17歳のころに離婚した

「離婚」と聞いて小さくガッツポーズを作って喜んことも鮮明に覚えている

これが決まるまでの3年間は状況的には辛かったと思うけど覚えていない

 

離婚後は母と兄弟3人の4人暮らし

兄弟喧嘩とか色々あったけど父がいない分穏やかになると思いきや

高校を中退して働いている私にお金を要求したり

突然夜中に来たかと思ったらクレジットカードを出せと要求したり

滅茶苦茶だった

 

そのクレジットカードは結局不正利用され使えなくなりましたよ

 

二十歳の時にお祝いをくれるどころか

「お父さんはお前が大っ嫌いだった」と教えてくれました

言われなくても知ってるし…

 

それでも大雨による水害が父の住んでる地域で起きた時

私は心配して繋がらない電話で何度も父の自宅へ電話をしたりして

何とか状況を知りたいと思って必死になったんです

すると2日後に父から電話が入り無事の確認はできましたが

あろうことか父は私に

「お父さんがこんなに大変な時に何で連絡してこない!」

「お前みたいな親不孝な娘はいない」

「今からそこへ行ってお前なんかぶっ〇してやるからな!」

と怒鳴り散らしきたよね

その時私は結婚して30代半ばの大人だったけど

ホントに〇されると思って、しばらく怖かったし

実の父親にそこまで言われ心底悲しかったしやるせなかった

 

そんな父だけど癌が発覚してから頼りにしてくるのは

姉でも弟でもなく、この私

ずっと何でだろ?と思いながらも

できることはやってきたし、やってあげたいとも思ってた

 

ずっと嫌いで離婚したことが嬉しかったのに

結局最後まで看取ることになった

 

亡くなって10年

ずっと考えていて今日初めて気づいたのは

私は父が好きだったんだという事

 

無理してそう思い込もうとしているわけではなく

「嫌いだから好きじゃない」と思っていただけで

ちゃんと「好き」の思いもあったんだと

「解ってほしい」「優しくしてほしい」

は「好き」という感情もあったからなんだと思ったら

胸の奥がスーッとした

 

嫌なことがあっても相手を「嫌い」になれない

そこに「好き」があってもおかしくないし、

そんな感情があってもいい

そこは嫌いだけど、ここは好きで良いじゃん

 

結局相手は私なんだ

私だったんだ

そんなふうに思った

 

今日はブログにそこしたいと思ったから

残しておきます