真夜中、
キヨコは
誰かに呼ばれた気がして
目を覚ました。
起き上がらずに
目玉だけでぐるりと見回す。
うす暗い部屋はしんとして
動く影はない。
首だけをゆっくり右に傾けて
部屋の奥の隅っこを見る。
モウスが丸くなって眠っている。
いつも通りで変わりない。
左に目をやると
テーブルの上のパンから
ギリギリと音がした。
タマモが歯ぎしりをしているようだ。
キヨコを呼んだのは
この2人ではない。
暫くじっと耳を澄ましたが、
タマモの歯ぎしり以外は
何も聞こえない。
気のせい?
それとも
モウスかタマモの
寝言だったのか?
そう思って目を閉じたとき
「…キヨコ」
今度ははっきり聞こえた。
気のせいじゃない。
キヨコは飛び起きた。
この声には聞き覚えがある。
生みの母の声だ。
キヨコの記憶は
この世に生まれてくる前、
母胎にいるときに遡った。
羊水に浮かぶ胎内で
キヨコは生みの母の声を聞いた。
「もうすぐ生まれるわ。女の子ならキヨコって名前にしたいの。心の清らかな子になって欲しい」
生みの母は誰かと話をしている。
「キヨコ…いい名前ね」
そう答えた相手の声に
キヨコは愕然とした。
その声は良く知っている。
ママの声だ。
「ひのえちゃん。ありがとう。達郎さんの子を身ごもってくれて…」
「うん、産んだら有未ちゃんに任せる。大事に育ててね」
キヨコは
父親の不倫相手のお腹にいる時に
母親の声を聞いたのだ。
それはつまり、
本当の母親と育ての母親であるママが
顔見知りだったということになる。
いや、この2人の話ぶりは
顔見知りどころでは無い。
「もちろんよ。ひのえちゃんと達郎さんの子ですもの。大切にするわ」
「約束よ。私の存在は絶対に秘密だからね」
「わかっている。私たち親友でしょう」
「うん、じゃあ、無事にこの子を産んだら連れて行くね。私たちが会うのはその日が最後、秘密は一生守る」
「ええ、約束する」
キヨコは思い出してはいけない記憶を
また思い出してしまったようだ。
これは一体どういうことだろう。
ママがパパの不倫を企んだということか?
記憶に思考が追いつかない。
心臓がドクンドクンとやかましい。
キヨコはゆらりと立ち上がり
吸い寄せられるように
声のする方に進む。
「キヨコ」
床下から声がする。
正に〝さえの神〟の場所、
この世の境い目から聞こえてくる。
そこに生みの母がいるのだろうか。
ならば聞きたいことが沢山ある。
キヨコの頭の中で
母親を問い詰める言葉がグルグル回った。
親戚たちが父親を責めたように
キヨコは
生みの母を責めようと
口を開いたとき
モウスが叫んだ。
「ダメモウス!キヨコ!ベッドに戻るモウス!」
モウスはガッとキヨコを抱えると
ベッドに連れ戻した。
モウスが険しい顔で言う。
「魔物モウス!キヨコを狙っているモウス!」
「魔物?違うよ。床下から、お母さんが呼んでいるの」
「お母さんじゃないモウス!魔物だモウス!」
モウスが声を荒らげた。
ぱちっと部屋の照明がついた。
「危なかったねぇ」
いつの間にか
元の大きさに戻ったタマモが
キヨコの隣にいる。
「確かに魔物の殺気を感じたよ。間違いなくキヨコを狙っていた。床下の〝さえの神〟の力がまだ効いていたが、〝さえの神〟は弱っているからね、キヨコが危ないとモウスは感じたんだよ。モウスは件(くだん)だから危険を予知したのさ」
モウスは泣きそうな顔をして
キヨコを見ている。
「危なかったモウス。キヨコが一言でも悪態をついたら…魔物はキヨコを取り込んだモウス」
震えるモウスを慰めるように
タマモはモウスを撫でた。
「あの魔物はキヨコの母親を知っていたのかねぇ。母親の声を真似てキヨコを誘き出したようだ。キヨコは美味そうだから…ふふ、アタシも食べたいよ」
タマモはニタリと笑う。
キヨコがゾッとして身構えると
タマモはお腹を抱えて笑い出した。
「あはは!冗談さ。人間なんか食べないよ。でも、食いたいヤツもいるんだ。気をつけな」
「気をつけなって言われても…」
キヨコがうつむくと
ふわっとモウスが肩を抱く。
「大丈夫モウス。キヨコは清い心でいればいいモウス」
「そうだよ、魔物に隙を見せちゃだめだ。人を呪ったり悪態をついたりすると、悪い波動が共鳴して魔物に取り込まれやすくなるからね」
タマモに言われ
キヨコはうなだれた。
「確かに私、お母さんを責めようとした。何で不倫なんかしたの?何で私を捨てたの?って、聞きたいじゃない?それに…」
キヨコは胎内での記憶を
2人に聞かせた。
タマモは腕組みをして思案顔になった。
「生みの母とママが親友?ふ〜ん、そうかい。複雑な大人の…いや、女の事情があるようだね。うん、なかなか面倒な話だ」
タマモはスーッと小さくなって
パンの中に戻って行った。
面倒な話は避けたいのだろう。
「キヨコも寝るモウス。夜更かしは良くないモウス」
モウスは明かりを消し
ベッドの横にしゃがんで
そっと布団をトントンしてくれた。
キヨコは目を閉じ
トントンに導かれ眠りについた。
〈続く〉