「ほう、なるほど。それは興味深い話だ。ぜひ私もお会いしたい」
社長の目がキラリと光った。
山下がビジネスになると踏んだのかもしれない。
オレは社長を尊敬している。
先代が立ち上げた会社だが、
日本中に支店を出し、
世界進出をしたのは社長の功績だ。
偉大な人だ。
しかし、だからと言って
オレは社長の意のままには動かない。
いや、1ヶ月前なら
従順に社長の言いなりになっていた。
喜んでナツキと結婚しただろう。
でも、山下と出会い、弥生と出会い、
様々な局面を乗り越えてきたオレは
自分に自信がついたのかもしれない。
だから断ることができたのだ。
いや、待てよ。
そもそも山下と出会わなければ
オレはうだつの上がらない男のままだ。
ウジウジとケンジを恨んでいただろう。
そんなオレに社長の娘との縁談なんて
上がるはずもない。
オレは改めて山下に感謝した。
そう言えば、
占い師のキッキが言っていたっけ
「あなたの運勢は良い。山下さんに出会えただけで運勢は最高さ」
本当にその通りだ。
オレは社長たちと別れ
アパートに向かった。
まっすぐ帰宅するつもりだったが、
ふと、
近所を少し歩いて見ようと思いついた。
せっかく香港に来たのに
アパートとナツキの家しか知らない。
明日は会社に行くので、
今のうちに…。
路地に入ったのは失敗だった。
香港は今、
逃亡犯条例から発したデモが
過激化している。
オレは
そのデモ隊が集まっているところに
入り込んでしまった。
周りは黒い服を着た人だらけだ。
黒いシャツを着てはいけないと聞いていた。
デモ参加者が黒を着用しているからだ。
オレのTシャツは紺色だが
夜道では判別不能だろう。
平和的抗議運動をしている人も多いが
覆面禁止条例が出てからは
更に情勢が混乱し
暴力的な行為にエスカレートしている。
非協力運動は予告なしで
神出鬼没、突発的に出現する。
特に夜は過激だ。
オレは正に
その中に入ってしまったようだ。
まずい、非常にまずい。
香港デモには
明確なリーダーがいないと言われている。
統括的な組織も存在しないのに
こんなにも多くの人が集まり
なぜか統率されている。
オレはそっと抜けようとしたが
オドオドしていて目立ったのか
乱暴にシャツを掴まれた。
どうやらオレを
中国のスパイだと勘違いしているようだ。
周囲の人が殺気立った目でオレを見ている。
ヤバイ!これは本当にヤバイ!
最近では親中的とみなされて
日本企業の吉野家や元気寿司も
襲撃されている。
日本語で否定しても大丈夫か?
英語か?オレの英語力で通じるか?
その時、最前線で雄叫びがあった。
全員がその雄叫びに反応した。
「光復香港、時代革命(香港を取り戻せ、時代を塗り替えろ)」
シュプレヒコールのままデモ隊が動いた。
「ホンフー シャンカン! シーダイ グーミン!」
皆が連呼してガラスが粉々になる音がする。
ガシャガシャと何かを破壊し始めた。
ダメだ!ここにいてはダメだ!
押し寄せる人から逃れようと
オレは必死にもがいた。
誰かが悲鳴を上げたと同時に
パッと周囲の人間が散った。
警官隊が来たのだ。
白煙が上がった。
何の白煙だ?
目が痛い。
鼻が痛い。
ノドが痛い。
催涙スプレーを撒かれたか?
咳き込んでいると
風圧がオレをかすめる。
弾丸⁈
警官隊が何かを撃ってきた。
もしかしてゴム弾か?
いくら殺傷力が低いとは言え
当たったらただでは済まない。
危険すぎる。
止めろ!やめてくれー!
ノドがやられて苦しい。
オレは這いつくばって移動した。
とにかくここから離れないと!
死んでしまう。
「いたわ!」
遠くて日本語が聞こえる。
目を開けられないので定かではないが、
飯島さんの声だ。
オレは数人の男たちに抱えられ
車の中に押し込まれた。
「大丈夫?」
ナツキの声だ。
オレはペットボトルの水で目を洗い
ノドをうがいした。
「ツイッターを見ていたら近くでデモ情報があって…まさかとは思ったけど、やっぱり巻き込まれていたのね」
飯島が呆れた表情を浮かべた。
「すみません。助かりました」
オレの声は枯れていた。
ナツキのボディガードが
オレを運んでくれたらしい。
社長も同乗している。
「大丈夫かい?君にはこれからもっと頑張ってもらうのだから、危険な行動は慎んでくれよ」
冗談っぽい話し方だが、
渋い顔をしている。
「パパ、やっぱり私、ジンと日本に行くわ。今の香港は危険だもの」
ナツキの言葉に社長はパッと笑顔になった。
仕事には厳しい社長も娘には甘い。
《つづく》