「藤谷さん、行きますよ。もう閉店時間になってしまいます」
オレが上機嫌で鏡を見ていると
山下が急がせる。

試し履きをしていた靴から
自分の靴に履き替えるとき
一瞬、気が滅入った。
さっきまで、
この靴に何の不満も無かったのに…。

良いものを知るということは
こんなにも人の心を変えてしまうのか、
もう、以前のオレには戻れない。

山下は、また足早に歩き出した。
山下もあの店の靴を履いているのだろう。
まるでスニーカーを履いているような
軽妙な動きだ。

次はどんな素敵な店に
連れて行ってくれるのだろう。
オレの期待は膨らんだ。

「さぁ、ここで服を買いますよ」
「え?ここは…」

山下が入った店はユニクロだった。
手頃な値段で高品質だとは思うが、
今までの店と比べると
カジュアルで高級感は無い。

ここの服は奇抜なデザインがないから
安心して着られるが、
万人が利用しているといっても過言ではない。

「何故ユニクロで?」
ここならオレもよく利用している。
わざわざ山下に紹介される店ではない。

すると山下は
「藤谷さんは、お世辞にもオシャレな方とは言えませんが、そこは自覚していますか?」
と諭すように言った。

自覚している。
でも、
ヘアサロンや革製品の店で
オシャレの大切さがわかってきた。
なのにユニクロか?
心が弾まない。

「ヘアスタイルは一流のスタイリストが藤谷さんに合う髪型にしてくださいました。財布などの持ち物はその人のステータスが現れますから良いものを持った方がいいので、高田さんの店を紹介しました。それで藤谷さんは今までより、いい男になりましたよね?」

オレは素直に頷いた。

「では、今までオシャレに無頓着だった藤谷さんが、髪型を変え、いい財布と鞄を持ち、高級ブランドの服で揃えたら友人や同僚はどう思うでしょう?」

山下の言っている意味がわからない。
揃え過ぎて嫌味になるということか?

「目的はオシャレになることではありません。一人前の男、愛を知る男になることです。親近感も大事なのですよ」

山下の言葉は答えなのか?
よくわからないが頷いた。
今まで山下の言う通りにしてきて
間違いはなかった。

山下はオレのサイズを聞き
伸縮性の高い黒のパンツと
ジャケットを選んだ。
セットアップ商品だ。

ちょっとラフな感じだが、
スーツ代わりに着ても問題ないだろう。

試着をすると、
山下はオレの太もものゆとりや
裾の細さを確認し、
また別のパンツも履かせた。

今度は腰がゆるめだが、
山下は太もものゆとりを考えると
こっちの方がいいと言う。

「服のサイズは1ミリも妥協してはいけません。流行りの細身のパンツは太ももがポイントです。ここがパツパツではダメです。裾口と全体のバランスを考えてください」

山下の説明をすぐには理解できなかったが、
山下は一目でわかるようにしてくれた。
試着した姿を写真に撮って
比べて見せてくれたのだ。

山下の言う通りだった。
いつもならウエストに合わせて購入していた。
でも、ワンサイズ上げたパンツの方が
全体のラインがきれいに出ている。

ウエスト直しを待つ間に
シャツなど数点購入する。
その際も山下のアドバイスは的確だ。

組み合わせを考えたり、
差し色の効果を考えたり、
素材の風合いを合わせたり、
マネキンが着ている服について考えたり…。
今まで考えもしなかったことばかり、
知らないことばかりで感心する。

店を出てオレは山下に礼を言った。
山下は爽やかな笑顔を返したが、
「大事なのはここからです」
とオレに3つの課題を出した。

① 常に姿勢正しくしていること
② 話し始めるときは頭の中で3秒数えてから言うこと
③ 靴の手入れをきちんとすること

簡単そうだが、
実践となると難しそうだ。
山下は絶対に厳守するようにと言った。

「その古い靴もきちんと手入れをして大切に扱ってください。それがオシャレの基本です。では、明日の夜からバイトをお願いします」

山下は軽く手を上げて夜の街に消えて行く。
オレはその後ろ姿に深々と頭を下げた。


     《つづく》