去年いや二年前だろうか。
それは売店で訪れた大日本プロレスの会場で新土リングアナから唐突に聞かされた。

『なんかDDTにいた人がレフェリー志望で来ましたよ。カレー屋にいたみたいなんですけど知ってます?』

まさに寝耳に水。
理解するまでにしばしの時を要した。
話をまとめると飲食部にいたスタッフがレフェリー志望で大日本さんに面接に来たらしい。
池須さんがチェリーさんに聞いたところ、ニコニコカレー時代の社員で真面目だし良い人だという事で見習いとして採用したと。

僕はすぐにチェリーさんに電話した。
『あぁ、オススメしときましたよ!あの社員でいた方ですよね。真面目だし人柄も良かったんで!』

確かに、確かに彼は真面目だった。
勤務態度も問題無し。
ミツボシカレーにバイトで入り、ニコニコ時代は社員登用。
自分がレフェリーデビューした後のカレー事業を文字通り大黒柱となって支えた。
マメな性格で、休みの日を利用して自宅でメニューやポップを作るなど本当に頼りになった。

しかし僕は釈然としなかった。
何故一言挨拶が無いのか。
僕はミツボシで彼が面接に来た時はすでにデビューしていた。
別に先輩風を吹かすつもりも偉そうにする気も無いが、道義としてそれは当然じゃないのか。

僕は憮然としたまま日々を過ごしていた。
ある日再び大日本さんの会場に行く機会があり、いても立ってもいられず日韓さんを訪ねた。
『そうなんですよ、チェリーさんが池須さんに太鼓判押すから採用したんですけどね…うん、チェリーさん立派な社員だったって言ってた。練習初日なんか全くついて来れなくてねぇ。吐いたりして。んでちょっと太ってたから痩せろって言ったんだけどね~。なんか頼り無いんだよね~』

間違い無かった。
ちょっと太ってたし、お世辞にも運動神経が良さそうには見えなかった。
優しい性格で人と争うような感じではないので頼りなくも映るだろう。
僕は新土さんを見つけると思わず駆け寄りこう吐き出さざるを得なかった。

『日韓さんに確認しました。間違い無くウチにいた人間ですね。申し訳ないけどデビューなんか出来ないと思いますよ。体力云々もそうですけど、こんな不義理ありますか?こういう人間が立てるリングであって欲しくない。だからデビュー出来ないと思います。あ、でもこの件は新土さんの胸に止めておいて下さい』

そうは言ったものの、しばらくしてふと一つの考えが頭をよぎった。
いざ入ってみたプロレス界が厳しくてデビュー出来るか分からない、もしデビュー出来なかったら恥ずかしい、だからまだ言えないのではないか。
思えば自分も見習い時代は誰にも打ち明けていなかった気がする。
実際僕自身高木さんに、松井さんの面接とテストを受けて見込みが無いと言われたらスッパリ諦めて飲食に専念する様に言われた事を思い出した。

僕は自分の器の小ささを責め、恥ずかしんだ。
そりゃそうだ。
知ってる人で同じ道を行く人間なら尚更言いづらいに決まってる。
何を熱くなっていたのか。
しかしその数ヶ月に僕は更に熱くなる事をこの時はまだ想像だにしていなかった。

『あ、木曽さん!彼デビュー決まりましたよ!今度広島でデビューします』
日韓さんにそう告げられた時、血の気が引くのが分かった。
人は限度を超えて怒ると、一瞬にして沸騰するけどすぐ零下になるらしい。

あ、あぁそうですか。めでたいっすね~
なんとかその場を繕ったものの、握った拳は怒りで震えていた。

『あれ?今度大日本でレフェリーデビューするんですか?水くさいな、言って下さいよ!かっけぇすね!』
テレビドラマさながらの三枚目を演じ、歯を食いしばりながら僕なりの最後通告をメールした。

悲しい事に返事は来なかった。

僕は一大決心の末再び日韓さんを訪ねた。
何人かの親しい先輩方にも相談した。
後悔は無い。
僕を止めるものは何も無かった。

これまでの経緯を話す。
『絶対に手は出しません。でも相当キツく言うと思います。こんな不義理は許せない。増してやウチと大日本さんですよ。何回も顔を合わせるんですよ。言ってみれば親戚みたいな団体ですよ。それなのに一言の挨拶もしないで立つ鳥跡を濁す。有り得ないですよ。僕はまだ良いです。高木さんも知らないんですよ。何も知らなかった大日本さんにどうこうってのは勿論無いです。彼とウチの問題です。僕は悔しいです、軽く見られて。僕じゃないですよ、高木さんやDDTが。だから一言言わせて下さい。今後のウチと大日本さんの為に。そして何より彼の為に。これで登坂さんに何か言われたり問題が起きたら全部僕が責任取りますので』

何かあったら業界から去っても良い覚悟だった。
彼を信じて一緒に仕事をしていた分、裏切られ糞ぶっ掛けられた反動は自分でも歯止めが効かない程だった。

日韓さんは僕から視線を外さず、ずっと黙って話を聞いていた。
そして頷いた。

『分かりました。こちらからもお願いします。それが竹田君の為です。』

もう僕を止めるものは何も無い。
手を出さないと言ったものの、その自信も無い。
荒ぶる自身を鎮めたくもあり、もう一度念を押す。

『大丈夫です。そこまで竹田君の事考えてくれてありがとうございます』

ハイ、来た!
もうヤってやりますよ。
こんなに軽く見られたら困りますよ。
舐められたら困りますよ。
ホントね、有り得ないから。
非常識にも程があるよ、そんな不義理が通る訳ねーだろっつの!
覚悟しろよ、竹…た、竹…たけだ…竹田?

あれ?日韓さん、今何て?

『いや、ですから竹田君の為にもお願いしますと…』

あ、

あ~

あぉ、

竹田君ね!
ニコニコカレーにいたアルバイトの竹田君ね!
社員の○○さんじゃなくて!
竹田君かぁ。
確かに竹田君もちょっと太ってたし、おっとりしてるもんなぁ。
竹田君かぁ!
○○さんじゃなくて竹田君かぁ!
いゃぁとんだ人違い!
無駄な怒り!
無駄な数ヶ月!

アハハハハハ!
あはは!
あはっ!

チェリー!

あれからしばらく。
先日のテイセンホールでチェリーさんの人違いから採用された竹田君は元気にレフェリーしてました。
きっとめちゃくちゃ努力したのでしょう。
前回はラーメン食べてて見れなかった竹田君のレフェリー姿は、グッとくるものがありました。
ずっと勘違いしててごめんね。
○○さんもごめんなさい。

事実が判明した後、○○さんにもその旨メールしました。
『メールは見たんですけど誰かと間違ってるのかと思ってシカトしました。すいません!』
こちらこそすいません←土下座

でも札幌二日目のヤングジェネレーション。
レフェリー割りを決める時、日韓さんに竹田君にも任せて欲しいと言われ。
竹田君→自分→日韓さん→松井さんの順に四試合を裁きました。
何か嬉しかった。
自分の後輩が出来た、ちょっとむず痒い嬉しさ。

でも負けてられないから頑張ります。
明日の後楽園頑張ります。
レフェリーも売店も負けてられないから。

そして…
チェリーさん、ホントいい加減にして下さい!

という『錯乱』のお話。
お後がよろしいようで。