7月21日、メインイベントで岡林選手を迎え撃つ入江さんが脱いだ甲冑を、いつも通り控え室に戻した。
セミファイナルで6人タッグ選手権のレフェリーを終え、乱れたままの呼吸を整えながらふと思った。
「最近この甲冑戻す作業ずっとやってるなぁ」
単純にセミを自分が、メインを松井さんが担当する事が多いからで、セミが終わった自分がリングサイドに残り入場して来た入江さんの甲冑を持ち帰っているだけだ。
それにしてもこのパターンが多い。
後楽園でも地方でも。
それは2008年にデビューした25歳の若者が、いつの間にかメインイベンターへと変貌していたという事を示していた。
多分3月にケニーからベルトを獲って以来、後楽園ホールは全てメインを務めているはずだ。
当然のように地方でもメインの試合が増える。
きっと団体最高峰の王座に就いてからは、その喜びを味わう時間も無いくらいの茨の道だった事だろう。
そしてその日も茨の棘にしては強力過ぎるくらいの挑戦者がタチムカって来た。
本人がどう思っているかは分からないが、いつの間にか立場はムカウ側からムカワれる側に変わっていたのだ。
試合後、リングに立っていたのは怪獣だった。
怪物を叩き潰した緑色の怪獣だった。
25歳の若者は、その手で両国のメインを掴み取った。
世界でたった二人しか立てない舞台に、世界でたった一人の王者としてタチムカウ。
僕のデビュー戦は入江さんと中澤さんのダークマッチだった。
当時はまだ「名古屋から参戦している選手」といった印象だった入江さんだが、そこから3年間でDDTの頂点に昇りつめた。
恐らく辛い思い、悲しい思い、悔しい思い、不安、焦り、恐怖、色々な困難を乗り越えて自分のその手で掴み取った一つの夢の結晶であろう。
そしてまた一つ大きな夢を叶えるべく、絶対エースHARASHIMAさんの挑戦を受ける。
両国のメインで。
DDT年間最大のビッグマッチの最後の試合で。
僕が25歳の頃は何をしていたのだろう。
「本当の自分はこんなんじゃない」って自分に言い聞かせ、逃げていたんじゃないか。
現実からも夢からも。
そんな後楽園ホールの数時間後、僕は蕨にいた。
ガンプロのお手伝い。
ここにも夢を熱く、いや暑苦しく語る男たちがいた。
って書いてたら電車酔いしてきたんで続きはまた。
お疲れ様でした。
きそぺろ☆
セミファイナルで6人タッグ選手権のレフェリーを終え、乱れたままの呼吸を整えながらふと思った。
「最近この甲冑戻す作業ずっとやってるなぁ」
単純にセミを自分が、メインを松井さんが担当する事が多いからで、セミが終わった自分がリングサイドに残り入場して来た入江さんの甲冑を持ち帰っているだけだ。
それにしてもこのパターンが多い。
後楽園でも地方でも。
それは2008年にデビューした25歳の若者が、いつの間にかメインイベンターへと変貌していたという事を示していた。
多分3月にケニーからベルトを獲って以来、後楽園ホールは全てメインを務めているはずだ。
当然のように地方でもメインの試合が増える。
きっと団体最高峰の王座に就いてからは、その喜びを味わう時間も無いくらいの茨の道だった事だろう。
そしてその日も茨の棘にしては強力過ぎるくらいの挑戦者がタチムカって来た。
本人がどう思っているかは分からないが、いつの間にか立場はムカウ側からムカワれる側に変わっていたのだ。
試合後、リングに立っていたのは怪獣だった。
怪物を叩き潰した緑色の怪獣だった。
25歳の若者は、その手で両国のメインを掴み取った。
世界でたった二人しか立てない舞台に、世界でたった一人の王者としてタチムカウ。
僕のデビュー戦は入江さんと中澤さんのダークマッチだった。
当時はまだ「名古屋から参戦している選手」といった印象だった入江さんだが、そこから3年間でDDTの頂点に昇りつめた。
恐らく辛い思い、悲しい思い、悔しい思い、不安、焦り、恐怖、色々な困難を乗り越えて自分のその手で掴み取った一つの夢の結晶であろう。
そしてまた一つ大きな夢を叶えるべく、絶対エースHARASHIMAさんの挑戦を受ける。
両国のメインで。
DDT年間最大のビッグマッチの最後の試合で。
僕が25歳の頃は何をしていたのだろう。
「本当の自分はこんなんじゃない」って自分に言い聞かせ、逃げていたんじゃないか。
現実からも夢からも。
そんな後楽園ホールの数時間後、僕は蕨にいた。
ガンプロのお手伝い。
ここにも夢を熱く、いや暑苦しく語る男たちがいた。
って書いてたら電車酔いしてきたんで続きはまた。
お疲れ様でした。
きそぺろ☆