「その日はパンクラスと丸かぶりなので和田さんも梅木さんもいません。ここは木曽さんの出番だと思うのですがどうでしょうか?」

数ヶ月前に突然佐藤さんからハードヒットのオファーを受けた。

ハードヒットルールのレフェリーは経験があったし、昼は同じ会場でDDT。

鳥羽の兄貴と坂口さんのビアガーデンもハードヒットルールだった。


でも。

でも新生になってからは初めて。

FACEではピンスポをやってたし新木場は売店にいた。

日に日に高まる緊張。

不安だけはどんどん募っていった。

頭をよぎる新木場のメイン。

耳に残っている鈍い音。

救急車に向かう佐藤さんの姿、「開放骨折」という響き。

当日が近づくにつれ、次第にプレッシャーで潰されそうになっていった。


しかしこのハードヒットには僕なりの思いもあった。

最も尊敬する後輩、キヨと息も詰まるような激戦を繰り返した砂辺選手が出る。

対戦成績は一勝一敗一分。

本当に息を飲んで、胃が痛くなるよう試合を客席から見ていた。

試合前挨拶に行った。

「清水?どの清水ですか?あぁ、僕の嫌いな清水ですね。アハハ、冗談ですよ。宜しくお願いします」

とても試合前とは思えない笑顔で接してくれた。


高校生の頃、学校が終わって走って向かった横浜文化体育館。

生まれて初めてパンクラスを観た。

そこでスコット・ビーザックと戦っていた冨宅さん。

もう19年前の話になる。

19年て!


佐藤さんも坂口さんも窪田選手もISAO選手も、関係ないけど桜木選手も後楽園やディファで客席から観ていた選手。

SKアブソリュートの仲間の応援で行ってた自分にとっては言わば敵だった選手達だ。

そんな選手達の命を預かり、レフェリーすることになるなんて運命は分からないものだ。

ファイターチキン食べながらビール飲んで観ていた、相手コーナーにいた選手達と同じリングに立つなんて。


ちょっと会場で聴くのが楽しみになっていたISAO選手の天城越え。

「今日は何の前奏が付くのかな?」なんて期待しながら聴いていた佐藤さんのサバンナチャンス。

時を経てリング上で聴く事になるなんてあの当時一ミリも考えていなかったよ。

まぁハードヒットだと佐藤さんサバチャンじゃないんだけどさ。



試合前、忙しいのに佐藤さんに何回も確認にいった。

「この場合は反則ですか?」

「じゃあこうなったらどうですか?」

恐らく目が回るほど忙しかったであろう佐藤さんだが、嫌な顔一つせず答えてくれた。

そして笑いながらこう言ってくれた。


「大丈夫です。木曽さんの解釈でハードヒットを裁いて下さい。ダメだったら次呼ばないだけですから何にも心配いりませんよ!」


不思議と緊張は無くなった。

まるで霧がスッと晴れるように目の前が明るくなる。

それまで枷が付いていたようだった手足が一気に軽くなった。

どこからともなく自信が湧いたのか覚悟が決まったのか。


全9試合、常に背中に刀を突きつけられているような感覚だった。

そんな事されたことないけど。

間合いに入れば、常にカウント2から3までの間を数えているような意識。

一瞬も気が抜けないあの感覚。

2分3分の試合がめちゃくちゃ長く感じた。

かと思えば10分15分の試合があっという間に終わる。

あの6メートル四方の空間だけ、周りと違う時間が流れてる気さえした。


試合終了後、佐藤さんは「ありがとうございました。次もお願いします」そう言って握手してくれた。

正直ホッとした。

何より全選手が大きな怪我なくリングを降りれた事に。

勿論反省点は沢山ある。

次があるならそれを活かし、より良いレフェリングをしたい。


全試合終了後、佐藤さんは来年の後楽園進出をぶち上げた。

数年前までは別々の方向を向いていた志士たち。

彼らが拳を交えた末に同じ目標に向かって歩き出したら、こんなに痛快な事はない。

戦いってスゲー!


僕とサンボとSKアブソリュートとパンクラスと総合格闘家とDDT、ユニオン。

20年に渡る歴史が紡いだ不思議な縁が詰まった大会だったのでした。

僕個人にとっては。


そして、20年かぁ…

なんて思いつつ感傷的に色々思い出しながら帰ってました。

野球を辞めた時の事、サンボを始めた頃の事。

練習が辛かった事、試合で負けた事、負けた事、負けた事。

客席から観ていた仲間の試合。

DDTに入る前のどん底、入ってからの事。

そして今日。今日が、ガガガガ…ガガガガリッ!


って考え事に夢中でトラック擦っちゃったよね。

きそぺろ☆


いや、ぺろ☆じゃないよ。

ごめんなさい。

社長ごめんなさい。