不妊治療5年、今の私の気持ち | 日記を書こう

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現在、不妊治療5年。このブログでは、不妊治療・体外受精の情報と治療状況、私が日々感じたことを記録しています。タイミング法、人工授精を経て、体外受精では3回の採卵と8回の胚盤胞移植を受けましたが、妊娠判定は全て陰性でした。

久しぶりに、ブログを書こうという気持ちになりました。

 

前回の更新からは3か月以上も経っています。

 

結局、7回目の胚盤胞移植(初めての新鮮胚移植)も

残念な結果となりました。

 

その後、別の検査結果なども受けて

急にやる気が起こらなくなってきました。

 

今のところ、手の打てる対策はあとふたつ。

できることが、もう少ないことを自覚した途端に、

急に頑張る意欲が起こらなくなったのです。

 

ずっと猪突猛進で走ってきて、

燃え尽きてしまったとでもいうのでしょうか。

 

初めて病院の門をたたいてから、ちょうど5年が経過しました。

 

思えば、治療を開始してからは、

ほとんど休まずこれまで頑張って突っ走ってきました。

 

一周期だってもったいない。

 

少しでも若いうちにと。

 

治療をしていない時期も、流産した体を休ませていたり、

転院に向けての情報収集をしていたりと、

結局、この5年間、「妊娠すること」が

頭から離れたことは一度もありませんでした。

 

しかし、次の治療の対策に入るまでに

しばらく時間が空くことになりました。

 

その間、採卵をして貯卵をするという選択肢もあったのですが、

一度少し休んでみようかと思いました。

この時、仕事が忙しかったこともひとつの理由ではあります。

 

少し休みはじめると、治療のない生活は

なんと解放感に満ちていることでしょうか。

 

日々の通院と長い待ち時間、薬や注射のスケジュールから

解放された生活は、本当に「楽」でした。

 

やめてみて初めて、私は長い間、

こんなにも不自由な生活を送っていたのかと気づかされました。

 

また、治療経過の良し悪しによって起こる

気持ちのアップダウンに振り回されない生活も

とても心地よく感じました。

 

そして、全く実を結ばない治療に、大金を払うことが

なんだか馬鹿らしく感じるようになりました。

 

なんてもったいないんだと。

 

そうこうしているうちに、

治療生活に戻るのが、とても億劫になりました。

 

もうひと月、もうひと月と休んでしまいました。

 

またその間、とにかく仕事が忙しかったです。

 

何本かの仕事を同時に並行し、締め切りに追われる毎日でした。

 

とても忙しく本当に大変ではあったのですが、

一方で、その忙しさに対して充実感も覚えていました。

 

そうして、頭の中に

「治療」が入る隙間のない生活を送っていました。

 

治療や子どものことについて、深く考えずに済むことで、

この間、精神的には比較的に安定しているようでした。

 

一方で、「子どものいない人生」についても

なんとなく考えるようになっていました。

 

そうして過ごしていた頃、12月を過ぎた時でした。

 

いつもより生理が遅れていました。

 

通常の生理周期は28日から32日くらいでしたが、

それを過ぎていました。

 

そして、35日を過ぎたあたりからか

急に生理日数を意識をするようになりました。

 

なぜなら、治療開始から5年間で

ここまで生理が遅れたことがなかったからです。

長くても34日目くらいには、生理が来ていたと思います。

 

ただし、治療を始める前に

一度だけ生理が40日ほど来なかったことがありました。

 

しかし、それ以外で生理が止まったのは、

4年以上も前のこと、

初めて自然妊娠をした時だけです。

(その時は結局、流産となってしまいました。)

 

今回は果たして、

妊娠なのか、生理不順なのか。

 

諦めかけていたはずが、

むくむくと期待する気持ちが湧き上がってきました。

 

そして、とうとう妊娠検査薬で調べました。

 

しかし、結果は陰性でした。

 

それでも僅かな望みにかけて

病院で内診と血液検査を受けましたが、

やはり、妊娠はしていませんでした。

 

そして、生理は41日目に来ました。

 

この時の出来事で、

私の安定していた気持ちは大きく揺さぶられました。

 

一度、自然妊娠したことがあった私は、

もしかすると、もしかするかもしれないと

期待してはいけないと強く気持ちを抑えるものの、

期待が日に日に膨らんでいっていたのです。

 

子どものいる人生を夢見てしまったのです。

 

しかし、またどん底に突き落とされてしまいました。

 

治療を止めたしても、生理がある限りは

「子ども」からは逃れなれないかもしれないと、

この時、私は、これから先の長い将来を悲観しました。

 

12月にこうしたことがあり、そのまま元旦に突入しました。

 

届いた年賀状を一枚一枚見ていると、

なんだか泣けてきてしまいました。

 

振り返ると、この5年の間で、年賀状に対しては抱く想いは、

その時々の状況によって変化しました。

 

誰かに何かを送る時は

もらう側のことを考えて送るのが、通常だと思いますが、

年賀状に限っては、近況報告ということなのでしょうか、

自己満足の世界を相手に送ることが

当然のことになっているように感じます。

 

ある年は、子どもの誕生や成長を知らせる写真に対して

年明け早々、人の気持ちを汲まずに

全く無神経だと感じたこともありました。

 

またある年は、一年間の子供のイベントや思い出の写真が

所狭しと貼られた年賀状が、

なんとも滑稽に見えたこともありました。

 

「父になりました」「親バカです」と書かれた

夫に届いた年賀状を見て、

いつまでも父親になれない夫が不憫に思えて

本当に悲しい気持ちになったこともありました。

 

私も彼らと同じように、近況報告として

この一年間に一番懸命に取り組んだことを伝えてみようか、

 

体外受精に何度も挑戦したけど結果が得られず、

非常に残念な一年でしたとコメントを書いてみようか、

と冗談で思ったこともありました。

 

自分の今の状況を自信をもって語れる人というのは、

幸せな人たちだけなのかもしれません。

 

人の幸せを素直に喜ぶことができなくなった自分に

私はほとほと嫌気がさしました。

自分がどんどん嫌な人間になっていくのを感じました。

 

そして、次第に耐性がついてきた私は、

年賀状に対して何も感じなくなっていきました。

 

しかしながら、今年の年賀状は

また、これまでにはない感情を、私の中に呼び起こさせました。

 

治療の終わりが見え始めたと感じ、

子どもがいない人生でも何とか前向きに生きていけないだろうか

と模索していた私は、

 

そして、生理の遅れによって諦めかけていた期待が膨れ上がり、

その後、再びどん底に突き落とされた私は、

 

年賀状を見たとき、

なんだかよくわからないけど、泣けてきました。

 

たくさんの幸せな家族の写真は、

私が5年間、必死に頑張ってきても、どうしても、どうしても

手に入らなかったものでした。

 

子どもやその両親が映ったとても幸せな写真、

幸せな家族を目の当たりにして、

なんだかしみじみとしてしまい、勝手に涙が溢れてきました。

 

そこには、嫉妬する感情は、もはやありませんでしたが、

とても大きく心を揺さぶられました。

 

こんな日々を過ごしながら、治療を休んでいる間、

私がもうひとつしていたことがあります。

 

それは、「子どものいない人生の生き方」についてのヒントを

探すことでした。

 

アメブロには「ベビ待ち・不妊治療・妊活」のジャンルがあり、

そこに行けば、自分と同じ悩みを抱えた仲間がそこにいると、

いつも感じていました。

 

治療を始めてから私は、

特に、治療が長期化するようになってからは

これまでの人間関係を避けるようになってしまいました。

 

これまでの大切にしてきた人たちとの間に

自分から距離を感じるようになり、

次第に積極的に関わりたいと思えないようになっていきました。

 

子育てと仕事で忙しい日々を送る晴れて母親となった人たちに、

自分のジメジメとした思いを語ることが、はばかられました。

 

そんな風にして孤立してしまった私にとって

みなさんのブログを読むことは、私が治療生活を続ける上で、

とても大きな支えになっていきました。

 

しかしながら、もうそろそろ対策できることも少なくなり、

治療の終わりを少しずつ意識し始め、治療を中断していた私は、

 

不妊治療のジャンルさえも、

「もう自分の居場所ではない」と感じるようになっていました。

 

まさに、これから本格的に治療に取り組む人たち、

まだ可能性を模索して奮闘する人たち、

そんな風に前を向いて進む人たちの姿は、

私とはもう違う遠い場所にいる人たちのように感じました。

 

これまで、本当に多くの方が体外・顕微受精をして妊娠をし、

このジャンルからいなくなっていきました。

 

本当に良かったなと思う一方で、

もう生きる世界が違う人たちなんだなと、寂しさを感じ、

取り残されたような気持ちにもなりました。

 

こうして、せっかく見つけた居場所も

もう私の居場所ではなくなっているように思い始めました。

 

また、このジャンルでは時折、

突然ブログの更新が、ぷつんと途絶えてしまっている方を

お見受けします。

 

今はどんな生活をされているのだろうかと、

少し寂しく感じることもあります。

 

居場所をなくした私は、

「子どものいない人生」を生きている人たち、あるいは、

「治療のやめどき」に悩んでいる人たちを

ネット上で探し始めました。

 

しかし、それは不妊治療をしている人よりも

ずっと見つけることが難しく、

実際、とても少ないかもしれないと思いました。

 

不妊治療でもマイノリティーだと感じていたのに、

不妊治療を経た後に、子どものいない道を歩む人は

さらにマイノリティーになってしまうのかと、

途方に暮れました。

 

また、子どものいない人生を歩んでいる方を見つけても、

治療を諦めてから随分と時間が経っており、

今まさに、治療の限界を感じはじめ、

子どものいない人生を考えはじめている人に限定した場合、

リアルタイムで同じ悩みを抱えている人は、

本当に本当に少ないように感じました。

 

ずっとリアルな世界の人々から距離をとってきた私は、

もう潮時かもしれないとも思いました。

 

気持ちを理解してもらえそうな人に

治療をしていたことをカミングアウトして、

少しずつ強く生きていくことを考えるようになりました。

 

また、ネットでの情報収集と並行して、

子どもがいない人の生き方について綴った本を

何冊か読みました。

 

本に示される情報を知るなかで

本当にマイノリティーにとって生きづらい世の中だと

感じました。

 

しかしながら、いくつかの生きるヒントも

得られた気がしました。

(すぐに実践できるかどうかは別ですが。)

 

本から得たヒントは次の通りです。

 

① 同じ境遇の人と思いを共有し、

抱えている気持ちを吐き出すこと。

 

② 仕事など何かに打ち込み、忙しくすることで、

結果、子どもがいない辛さに意識を集中させないこと。

 

③ 「ないもの」ではなく、「今あるもの」に目を向けて、

夫との生活を大切にして生きること。

 

④ 老後の不安については、できる限りの備えをして、

その時々に対処すると割り切って考えること。

 

なんとなくこれまでも

体験的にわかっていたことではありますが、

本を読み、同じ状況にいる先人たちの知恵を知ることで

堂々巡りから、少しは抜け出せた気がしました。

 

しかも上記のことは、不妊治療中の心構えとも大変似ています。

 

忙しさが、子どもがいないことに意識を集中させない状況に

つながることは、これまでも実感しています。

 

7回目の移植の失敗後、治療から離れられた解放感だけでなく、

仕事の忙しさによって、子どもことを意識する時間が

強制的に減るなかで、心が安定していました。

 

しかし最近になって、仕事の忙しさが少し途切れたことで、

持て余された時間は、また再び、私の心を

「子どもがいない辛さ」で覆ってしまうようになりました。

 

そんな時、ずっと見なくなっていた不妊治療のジャンルに

ふと目を向けてみました。

 

3か月も経つと、メンバーの大きな入れ替わりを感じましたが、

この間に、私がかつて気にしてブログを読んでいた

治療が長期戦になっていた3人ほどの方が、

妊娠に至っていました。

 

なんだか勇気がもらえた気がしました。

 

まだできるかもしれない。

まだ諦めたくない。

そんな気持ちが湧き起こって来ました。

 

前院で4回、転院後に3回移植をしたけれど、

そもそも転院後の移植2回分は、

前院でできた胚盤胞を移送したものだから、

転院後の胚盤胞の移植はまだ1回だけじゃないか。

 

しかもマイナーな新鮮胚移植じゃないか。

まだ試してみる価値があることは残っている。

 

そんな気持ちが湧き起こってきました。

 

そして、久しぶりにブログを書こうかな

という気持ちが起こってきました。

 

それは、私の3か月強の時間の振り返りと、気持ちの整理です。

 

これから治療を一体いつまで続けるのかは、

正直わかりません。

 

ただ今の気持ちは、

もう少し続けたいということだけです。

 

私は、不妊治療を通して、たくさんのものを失って、

まぶしい陽の当たる世界を避けて、

日影に隠れて生きてきたような気がします。

 

お金や仕事のチャンスを失ったことと引き換えに、

たったひとりでいいから、子どもを授かることができたら、

どんなに幸せだろうか。

 

私のこれまでのキャリアを全部投げ打ってでも、

子どもが伸び伸びと生きられるように

やりたいことができるように、ずっと見守ってあげたい。

 

何度も、何度も、気持ちを打ち砕かれて、

それでも気持ちを奮い立たせて頑張ってきた

この苦しい5年間があったからこそ、きっと

どんな困難にも耐えて、授かった子どもを大切にできるだろう。

 

しかし、実際には

たくさんのものを失って、

それでもなお、子どものいない状況、

これが現実です。

 

治療を中心に生活してきた私は、

たくさんのことを犠牲にして失ってきた。

でも、この5年間、何も得られずにいる。

 

ただただ虚しさがつきまといます。

 

唯一得たものは、表面的にはわからなくても

病気など深刻な悩みを抱えて生きている人がいることに気づき、

そんな状況を察して、配慮できる人間になりたいと思えたこと。

 

しかし、この生活をいつまで続けていくのだろうか、

この虚しさをどうやって埋めればいいのか、わかりません。

 

応急処置としては、やはり

忙しくするのが良いのかもしれません。

 

忙しさで気を紛らわせることで、少しずつ忘れていき、

またその忙しい何かによって

別の道に気持ちを注ぐようにシフトしていくのが

良いのかもしれません。

 

本当にとりとめもなく書き続けてしまいました。

 

今あること、

ずっと辛い気持ちを共有してくれて

いつも一緒に治療を頑張ってくれた夫、

辛い気持ちをぶつけてしまい心配をかけている両親を

大切にしていこうと思います。

 

思えば、幸せな時は、日向の明るい世界にいた時は、

周りにたくさんの人たちがいたような気がします。

 

本当に辛い時に傍にいてくれる人は、少ない。

 

それは私自身が辛い気持ちや状況を外に出さずに、

生きているせいでもありますが。

 

治療が長引くにつれて、暗く嫌な人間になっていく私を

愛想をつかさずに、ずっと寄り添ってくれて

長く辛いこの5年間という時間を

いつも私の元気が出るようにと明るく接してくれた夫を

大切にしていきたいと思います。