6月も半ば、ということはにっきとはっかがこの家に来て11か月経った。毎月中旬になると、「周月」(そんな言葉は辞書にないけれど―「周年」にあやかって―造語)を意識する。今月もよく過ごせたねと、安堵しながら。

 

 

二匹は一緒に、独自に、居間を唯一の宇宙として、活発に暮らしている。それぞれの個性はますます際立ち、共に暮らして全く飽きることがない。人間たちははっかのことを「お姉さん」と呼んだり、にっきのことを「おちびさん」と呼んだり、その日の様子でニックネームも様々。

 

 

二匹とも実に美しく愉快だ。毎日見惚れている。名前を呼ぶと、たまに応える。気まぐれだから、必ず何か言うわけではない。お腹がすけば性懲りもなく甘えた声を出し続ける。

 

 

二匹はどこまで本気なのか分からないような、激しい追いかけっこもする。相手の動静をじっと伺い、「何っ!?」と思わず人間たちが叫ぶほど、ビューンと居間の中を駆け巡る。「何してるんだろう?」と思うときは、そんな急襲の最中だったりする。

 

 

もちろんのんびり昼寝する姿は、これほどの平和な情景はないというくらいのどかだ。人間は人間界でどんなストレスがあったとしても、猫の姿を眺めているだけで、「まあいいか」の気分になる。

 

 

良くもそんなに寝ていられるものだと感心するくらい、猫たちは眠る。さっきまで大騒ぎしていたのがウソのように静まり、ちょっとやそっとの物音では目も開けない。そのくらい豪胆だからいつものんびりして見えるのだろうか。

 

 

ついはっかが目を開けているところを写真に撮る。おかしな顔をしてとぼけているところも撮るのだけれど、いざ並べて比べてみると、「おお、これもいいね。ああ、これも捨てがたい」と美猫ぶりを発揮しているのばかり掲載している気がする。(甘えてすり寄ってくるところはカメラに収まらないという事情もある。)だから、この家に来て以来はっかのイメージはクールビューティーで決まり。

 

 

そこへいくとにっきはなんといっても「コメディエンヌ」だろう。なにをしても面白い。子どもっぽいともいえるし、生来のエンタテイナーともいえる。目が覚めている間中、何かしら試してみている。賑やかでかしましい。

 

 

二匹の関わり方もどちらがどちらを圧倒するということもなく、その時々で主客転倒があり、面白い。はっかがにっきをたしなめたり、威嚇することもあれば、にっきがはっかを追いかけ回して容赦ないこともある。

 

 

人間ジュニアが友人からプレゼントされた「猫のおもちゃ(水色のネズミ)」は、袋から出した途端に、にっきが独占し遊びまわる。人間が取り上げてはっかに渡しても、すぐ奪い返す。はっかもそれを許容している。本当は自分も触りたいのかもしれないけれど。

 

 

にっきの様子をこっそり見ているはっかは、姉さん猫にしてはずいぶん控えめだ。そこがはっかの魅力でもある。ちょっと遠慮がちで、ちょっとシニカルで、本当は大胆だったりする、なかなか複雑な心理を持つ(のではないかと想像できる)猫だ。

 

 

ぺろぺろと、ぺろぺろと、飽きずに自分の手を舐めているにっきは無心で無邪気な猫。猫たちとの暮らしが人間たちを、悠長な気分にしてくれている。疲れて帰宅して、ちょっとのつもりで長椅子に座った人間シニアは気付いたらはっかを膝に乗せたまま居眠りしていた。傍らのちぐらではにっきも眠っていた。太平楽と言おうか、猫の魔法にかけられた。