母方の祖父はクリスチャンで大変温厚な性格だった。中国へ出征したが人を撃つことができず、ぐずぐず逃げ回っているうちに自分が撃たれて重傷を負って帰国した。婿養子に入った家で一男一女を授かり、それが母だった。私がクリスチャンの人がすごいなあと思う理由に、人種を超えた寛容さがある点だ。外国人の夫と結婚する時も母を説得したのは老いた祖父だった。私が選んだなら間違いない、どんな人種でも通っている血の色は同じだよと言ったのには驚いた。大正生まれの人にしてはモダンな考え方だと思う。その祖父も私の子どもの生まれる3か月前に残念ながら亡くなった。

自身はミッション系とまでは行かないが、クリスチャンだった学校長の運営する中学・高校・大学と進んだため、一時期キリスト教に傾倒した時期があった。三浦綾子の「塩狩峠」を読んだせいもある。理不尽な運命の中で自己犠牲を選ぶ人の尊さは到底真似できない。学校では1年に1回ろうそくを灯して自己を見つめる反省会のようなものがあったり、合唱する機会がとても多くクリスマスになると聖歌隊もあった。仏教(4月8日のお祭り)・神道(吉田松陰の墓前の祈祷)・儒教(論語や朱子学)・キリスト教(クリスマスキャロル)といろいろな要素を学校行事に取り入れていたから、あらゆる宗教に触れる機会があった。

そこへ新たな宗教がやってきた。実は夫はイスラム教徒である。イスラムというと色眼鏡で見られる。断食やアルコール禁止、豚肉を食べない、女性は被り物をするなど、日本人から見たら異色で厳しいから受け入れがたい人もいるようだ。おまけに報道でテロテロと言われ、危ない宗教だと思われている節がある。斯くいう私も最初はコワゴワ、夫は真面目だし彼の実家も割と裕福で大丈夫だとは思ったが、礼拝や断食や全く習慣が違うから心配もあった。

私がイスラム教徒と結婚して良かったなあと思う点は、まず浮気がない事かもしれない。浮気は(神の)罰を受けるので浮気をしたいなら離婚するしかない。それは夫にとってものすごく歯止めになっているようだ。次に酒を飲まないから面白くないかもしれないけれど、アル中になって破綻する心配はない。考えは少々偏狭な感じもするが、私が従順に従うわけはなく結構好き勝手しているような気もする(言わなきゃバレない)。

私が考える宗教というのは、自分のよすがになると同時に人を傷つけない筈のものだ。人を攻撃する理由になる時点でアウト。すべての原理主義もアウト、統●●会も。人の為の宗教であって、宗教のための人ではないから。中庸に限る。

 

戦時中、敵も撃てなかった亡き祖父の家は、跡継ぎの伯父が亡くなり今空き家になっている。夢の一つはその家を建て直し、私たち夫婦で住めるようにする事だ。海から近い思い出の地。結婚して20数年、ほどほど幸せにやっているよと祖父に報告したいものだ。