今回は中共による市民虐殺である天安門事件について説明します。
1980年代の中共は経済の自由化を行なっていました。同時に中共内にも政治の自由化を求める勢力がいました。改革派の胡耀邦と趙紫陽が政治改革を行なっていました。支那の国民は2人を尊敬していました。
中共の実質的指導者であった鄧小平は2人の政治改革を警戒しました。まず鄧小平は胡耀邦を失脚させました。1989年に胡耀邦は病死しました。胡耀邦の死を悼む若者が北京天安門広場に集結しました。
若者達は中共の独裁体制を批判しました。彼らは支那の自由と民主主義を主張しました。趙紫陽は若者達の主張に耳を傾け平和的解決を図ろうとしました。
中共の鄧小平率いる守旧派は民主派に対する徹底的な弾圧を主張しました。1989年6月4日に中共守旧派は天安門広場に人民解放軍を投入しました。民主派の若者達は軍によって武力弾圧を受け虐殺されました。
鄧小平は趙紫陽を更迭、中共内の改革派も失脚させられました。趙紫陽は2005年に亡くなるまで軟禁状態になりました。
天安門事件では数千人の若者達が人民解放軍によって虐殺されました。