こんにちは。
ピアニストの高島登美枝です。
前回のブログでは、私が
「人と比較されたときに
減点されにくい演奏」
「優等生の演奏」
…を到達点に修行に励んできたことを
告白いたしました。
で、この価値観が
大師匠のレッスンに通うようになって
完膚なきまでに叩き潰されたわけ
みなさんが知りたいのは
この転換点についてだと思うので
今日はその話を書きますが、
その前に、まずは告知から…
おかげさまで残席僅少
人生初ソロ・リサイタル開催
![ピンク音符](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/147.png)
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▶2024.07.31.(水)
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大師匠のところに辿り着いたきっかけは
ロシアピアニズム
…です。
そもそもの始まりは
以前、リストの《伝説》を
リスト音楽院のD教授に
レッスンしていただいたときに
「きみはピアノの弾き方、
ピアノという楽器の扱い方を
まったく教わってきていない」
…という、
ある意味、衝撃的な指摘を
受けたんですよ。
ちなみに、これ、
私が演奏(伴奏)で稼ぐようになってから
15年以上経ってからのことです
「自分は外国人で
1回きりのレッスンだから
ここでは最も本質的なことしか
言ってあげられないが、
楽器を美しく響かせるピアニズムを
教えられる先生は
日本にもいるはずだから
そういう人を探しなさい」
というのが彼の愛ある助言
そして(英語レッスンだったので)
Sound と Music の違いについて
時間をかけて説明してくださいました。
ショックはショックだったけど
ありがたいことだとも思いました
というのは、普通ね、
日本にマスタークラスを教えに来ている
欧米の先生って
なかなかここまで深いレベルで
ものを言わないものなのです。
ヨーロッパの教育と違って日本の場合は
ピアニズムの根本からズレたところで
学習を積み上げていっても、
それを補う他の方向の才能があった場合、
(↑多くの場合は運動神経の良さか
身体条件の有利さ)
そこそこのレベルまでは
進めちゃうんですよ。
だから、来日講師の
マスタークラスを受けるレベルの人でも
講師から見れば
「似て非なるもの」
にまとまっちゃっているケースが
しばしば発生するのです。
ただ、そこに修正をかけるのは
受講生の世界観の
根底を覆すことになるし、
それを1回から数回のレッスンで
責任をもって指導することは不可能。
だから、
ひとまずは
受講生が今持っているものに対して
アドバイスをして
その場をやり過ごす…
ということはよくある話なのです。
なのに、はっきりと言ってくださった
D教授には今でも心から感謝しています。
で、自分に足りないことが
何だったのかはよく分かったので、
それを教えてくれる先生を探す旅が
始まったのです。
D教授はソ連時代に
モスクワ音楽院に
留学されていた方なので
キーワードは「ロシアピアニズム」。
最初、リスト音楽院で
D教授に4年間師事された方の
教えを乞うたのですが、
先生のご家庭の事情&体調不良で
先生が音信不通になっちゃいました
それでもあきらめきれず
ロシアピニズムについて
情報収集しているうちに
出会ったのが大師匠のサイト
1年ほどブログを追っかけたあげく、
おそるおそるメールをして
入門をお願いしました。
当時は空席がない状態だったので、
モスクワ音楽院留学経験のある
アシスタントのT先生を紹介され、
4年半ほどT先生のもとで
奏法改善に励んでいたところ
コロナ禍が勃発
コロナ1年目の禁足令もあって、
片道1時間半ほどかかるT先生のレッスンから
数か月、足が遠のいていました。
そんな折、たまたまSNSで
大師匠とやりとりがあったことで
大師匠から
じかにレッスンをしていただける運びとなり、
今日に至っています。
私にとっては
ロシアピアニズムによる奏法改善が
目的でしたから、
テクニカルなことばかりに
関心が行っていたのですが、
レッスンを受けるうちに
「あれ?
テクニックを直すのは
テクニックだけにアプローチしても
本末転倒なのかも?」
と感じる場面が増えてきたんですね。
テクニックそのものは
大師匠の直レッスンに通うこと1年半ほどで
とんでもないこと(笑)は
やらかさなくなりました。
でも、そこじゃないんですよ
ロシアピアニズムを習得した「だけ」なら
そこで出てくるものは
D教授の言葉を借りるなら、
ただの美しい「サウンド」なんです。
夾雑音の多い「ノイズ」じゃないにしても
大師匠のレッスンは
アシスタントの先生が入られるときや
他の門下生が聴講なさっていることが
時々あるのですが、
みなさんの私の演奏に対する感想が
「型通り」
「スクエア」
![真顔](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/622.png)
![ガーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/607.png)
上手く弾けたつもりなのに...
![ガックリ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/337.gif)
楽譜を読み込んで
アナリーゼもがっつりして
そこをロシアピアニズムで
美しい音として再現することを
目指すんじゃだめなの
![!?](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/177.gif)
「この曲が作曲されてから
仮に1億人がこれを弾いてきたとしよう。
その1億人の誰かと同じ演奏がしたいの?
だったら、別にわざわざ
登美枝ちゃんが弾かなくても
この5月頃に言われた
大師匠のこの言葉が
決定的な転機になりました。
D教授がおっしゃった
「サウンドじゃなくてミュージック」
にも通じるのですが…
演奏という行為は
教科書的な模範的演奏があって、
望ましいというものではないんですね。
音楽家としての自分の率直な感覚を
表現するものなのだということ。
もっと表現してよい――
しなきゃいけなかったんですね
![凝視](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/629.png)
![ビックリマーク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
あるタイプの人たちからは
「そんなの当たり前じゃん
![恋の矢](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/033.gif)
私にとってはこれ、
天動説から地動説になったくらい
衝撃
![ドンッ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/280.gif)
創作された芸術ですから、
こちらもその拠って立つところの
西洋音楽の規則や美意識を
息をするように自然になるレベルまで
身に付けることは求められています。
しかしその規則や美意識をふまえて
自分がその曲についてどう感じるかを
演奏の中で伝えていくことが
「人を聴く気にさせる演奏」
ということだったんですね。
たとえばシェイクスピアを読むとして、
俳優さん女優さんの朗読は、
どちらもうまいけど、
朗読としての目指す方向性は
全く異なります。
これと同じ。
大師匠から
「1億1人目になりたいか、なりたくないか」
という問いを突き付けられたおかげで、
私はピアノを始めてからのン十年で初めて
「自分が感じていることを
もっと出してもオッケーなんだ
![音譜](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
と悟ったわけです。
![叫び](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/254.gif)
![あせる](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
地動説信奉者に変わった
不肖・高島の演奏はこちら↓
37〜43分ごろです。