最近のニュースを見ていると、
「現実」と「ファンタジー」が、
かなり濃いレベルで
重なり合ってきている世界線にいるな、
と感じることが増えた。
これは、音楽で例えるなら、
もはやどちらかが旋律でどちらかが伴奏という
ホモフォニックな関係ではなく、
どちらも同じくらいの存在感のある
「声部」が絡み合うポリフォニーの様相。
最近、実に象徴的だと思ったのが、
デーモン小暮をはじめとする
大物コンテンツクリエイターたちが、
高市早苗総理と懇談したというニュース。
シュールな光景をごく普通に受け止めている
デーモン閣下は
あの悪魔のスタイルのまま首相官邸に入り、
政治記者たちからは
「閣下、おはようございます」
と声をかけられ、
記念撮影では堂々と足を組んでポージング。
冷静に考えると、
かなりシュールな光景だ。
以前、Pokemon GOや
ドラクエウォークが出たときも、
「ゲームの世界とリアルが重なった感じ」
は確かにあった。
でも今回のは、レベルが違う。
一国の首相という、
めちゃくちゃ現実的で、
制度と権力と責任が詰め込まれた世界に、
“デーモン閣下の世界観”が
そのまま重なっている。
ファンタジーが現実に迎合したわけでも、
現実がふざけたわけでもなく、
どちらもそのまま存在している感じ。
これ、かなり大きな変化だと思う。
既存秩序・常識の崩壊
他にもニュースを見ていると
世界のあちこちで
「想像の外」が
当たり前のように更新され続けている。
ウクライナが黒海どころか地中海で
ドローン攻撃によって
船を沈めたという話とか——
カエルの腸内細菌から
がん治療につながる成分が
見つかったという研究とか——
無毒化したフグの養殖が
実用段階に入っていることとか——
どれも少し前なら
SFとかファンタジーの設定として
扱われていた話だ。
こうして見ると、
既存の秩序や常識が
ガラガラと音を立てて崩れつつあるのは、
もう否定しようがない。
ただそれは
「カオスになった」というより、
世界がもはや
一つの物語で説明できなくなった
ということなんじゃないかと思う。
音楽はロジックと非ロジックが共存する芸術
で、ここで音楽の話になるんだけど…
音楽って、
もともとファンタジーとリアルの
境界にあるでしょ。
音楽だけでなく芸術はみんなそう。
楽譜は極端に理性的で、
構造も論理もガチガチ。
でも、実際に鳴る音は、
楽譜の再現でもあるけれど、
感情や内面の表出であり
身体感覚の産物であり、
一期一会の場の空気の反映そのものでもある。
楽譜にはどうやっても書き表せない要素が
奏者と空間と聴衆によって加わることで
演奏という「時間芸術」は完結する。
それはまったく同じ時間が
二度とないのと同じこと。
つまり音楽という芸術は
理論と感覚、
秩序と逸脱、
現実と幻想、
それらが同時に成立している世界。
だから…たぶん、
今の世界を生きる感覚って、
音楽にすごく近い。
どちらか一方を信じ切ると、
必ず取りこぼす。
何せポリフォニーなんだから。
「現実だから正しい」
「ファンタジーだから軽い」
そんな単純な線引きはもう通用しない。

デーモン閣下が首相官邸に入り、
政治記者が自然に
「閣下」と呼びかける世界。
それを「おかしい」と切り捨てるより、
「そういう重なりが許容される段階に来た」
と捉えたほうが、
ずっと今の世界を正確に見ている気がする。
音楽家として生きてきた感覚からすると、
この世界線、案外、居心地が悪くない。
むしろ、
やっと現実が音楽みたいになってきた
そんな気すらしている。
私たちは何と「アート」な現実を
生きているのだろう!
それに気付くと
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