「結婚して子どもができたら幸福になれる」

「自分の家を持てたら幸福になれる」

「あの仕事に就けたら幸福になれる」

「……できたら幸福になれる」



あなたも,そう思ったことがありますか。
また,何か目標を達成した時や欲しい物を手に入れた時,その幸福感は,長く続きましたか。
それとも,薄れてゆきましたか。

確かに,目標を達成したり欲しかった物を得たりすれば幸福になりますが,そのような幸福感はすぐに消え去ります。
ずっと幸福でいるには,単に何かを成し遂げたり手に入れたりするだけでは不十分です。
本当の幸福には,体の健康の場合と同じように,様々な要素が関係しているのです。


わたしたちは一人一人異なっています。
自分が幸福に感じる事柄でも,ほかの人はそう思わないかもしれません。
それに,自分自身,年を重ねるにつれて変わります。
しかし,証拠の示すところによると,どんな人にも共通している,幸福に関連した幾つかの要素があります。
例えば,真の幸福は,満足することや,ねたまないこと,人を愛すること,精神面や感情面の柔軟性を養うことと関連しています。
なぜそう言えるのかを見ていきましょう。



 1. 満足する
人間を研究したある賢人は「金は身の守りである」と述べましたが「銀を愛する者は銀に満ち足りることなく,富を愛する者は収入に満ち足りることがない。これもまたむなしい」とも書いています。

要するに,生活にはお金が必要だが貪欲になってはならない,ということです。
貪欲になると,満足できなくなるからです。

上記の言葉を書いた古代イスラエルのソロモン王は,裕福になって贅沢な暮らしをすれば本当に幸福になれるか,実際に試してみました。

「わたしは自分の目が願い求めるものは何物をもそれから遠ざけなかった。わたしは自分の心からどんな歓びをも差し控えなかった」
と書いています。

莫大な富を蓄えたソロモンは,大邸宅を建て,美しい園や池を造り,大勢の召使いを抱え,欲しいものは何でも手に入れました。
では,どんなことを学んだでしょうか。
幾らか幸福感を味わいましたが,それは長続きしませんでした。

「見よ,すべてはむなしく,……益となるものは何もなかった」
と述べています。
生きるのも嫌になりました。
そうです,気ままな生活をすれば必ずむなしい満たされない気持ちになる,ということを学んだのです。 

現代における研究結果は,古代のその知恵と一致しているでしょうか。

「幸福研究ジャーナル」に載せられたある記事の中では「人は基本的な必要を満たされたなら,さらに収入が増えても,幸福感が増すことはほとんどない」と述べられています。

実のところ,種々の調査によって分かったことですが,物の消費を増やすと,特に道徳的また霊的な価値規準を犠牲にしてそうすると,幸福ではなくなります。

「あなた方の生活態度は金銭に対する愛のないものとしなさい。そして,今あるもので満足しなさい」


2. ねたまない
ねたむとは「他の人の恵まれた状態を不快に感じたり腹立たしい気持ちになったりし,自分も同じようになりたいと思う」ことです。
ねたみに駆られると,悪性腫瘍の増殖と同じように,生活がむしばまれ,幸福ではなくなります。
ねたみはどのように心に根を下ろすのでしょうか。
どうすればその徴候を見分けられますか。
どうすればねたまないようにすることができるでしょうか。

「社会心理学百科事典」によれば,人には,年齢,経験,社会的背景などが自分と同じくらいの人をねたむ傾向があります。
例えば,セールスマンが,有名な映画スターをねたむことはないとしても,自分より実績を上げている同僚をねたむことはあるかもしれません。


実例を挙げましょう。
古代ペルシャのある高官たちは,王にねたみを抱いたりはしませんでしたが,ダニエルという優秀な高官をねたみました。
憎らしかったに違いありません。
ダニエルを殺すことまで企てたのです。
しかし,その企ては失敗に終わりました。
先ほどの百科事典には「ねたみに敵がい心が伴うことを認めるのは重要である」と述べられています。 
「敵がい心が伴うからこそ,歴史上,ねたみが原因で非常に多くの暴力行為が起きた」のです。 



ねたましく思うと,生活を楽しめなくなる

では,自分がねたみを抱いているかどうか,どうすれば分かるでしょうか。
こう自問してみるとよいかもしれません。
「わたしは,仲間のだれかが何かを上手にした時,喜ぶだろうか,それとも気が沈むだろうか。また,弟か妹,才能のあるクラスメート,あるいは職場の同僚が何かに失敗した時,残念に思うだろうか,それともうれしくなるだろうか」
もし「気が沈む」また「うれしくなる」としたら,ねたみを抱いているのかもしれません。

「社会心理学百科事典」には,「ねたましく思うと,生活を楽しめなくなり,受けている多くの恵みに感謝する気持ちが薄れてしまう場合もある。……そのような傾向があると,幸福にはなれない」
と述べられています。

ねたまないようにするには,謙遜さや慎みを身につける必要があります。
そのようにすれば,他の人の能力や良い点を認めて高く評価することができるからです。

「何事も闘争心や自己本位の気持ちからするのではなく,むしろ,他の人が自分より上であると考えてへりくだった思いを持ちなさい。
自己本位になって,互いに競争をあおり,互いにそねみ合うことのないようにしましょう」



3. 人を愛する
「人が他の人との関係で抱いている感情は,仕事,収入,地域社会,さらには体の健康よりも,当人の生活における全体的な満足感に大きな影響を及ぼす」
「社会心理学」という本にはそう述べられています。
簡単に言えば,本当に幸福であるためには,愛し愛される必要がある,ということです。


「愛がなければ,何の価値もありません」


愛し愛されるのに,遅すぎるということはありません。
バネッサという女性も,その一例です。
大酒飲みの父親から,よくののしられ虐待されました。
それで,14歳の時に家を出て,里親の家を転々とし,環境の悪い宿泊所に寝泊まりしたこともあります。
今でも覚えていますが,宿泊所では神に助けを求めて必死に祈りました。
その祈りが聞かれたのでしょう,良い家族のもとに預けられました。
その家族は「愛は辛抱強く,また親切です」という教えに従って生活していたのです。
その家庭環境のおかげで,また自分から聖書を学んだこともあって,感情面の傷が癒やされ,精神面でも向上しました。
バネッサは「学校では,成績が上がり,DやFだったのがAやBになりました」と言っています。

バネッサは,感情面の傷がまだ残っているとはいえ,今では結婚して娘が二人おり,幸せに暮らしています。

「愛を身に着けなさい。それは結合の完全なきずななのです」


 4. 柔軟性を養う
何の問題もない生活を送れる人はいません。
「泣くのに時があり,……泣き叫ぶのに時がある」
柔軟性があれば,そのような時を切り抜ける,つまり逆境を乗り越えることができます。
キャロルとミルドレッドの例を考えてみましょう。

キャロルは,脊椎の変性疾患,糖尿病,睡眠時無呼吸などの問題を抱え,黄斑変性症のため左目の視力を失っています。
それでも,こう言います。

「いつまでも落ち込んだままでいないようにしています。自分を哀れに思うことはあっても,気持ちを切り替えて,自分にもまだ特に他の人のためにできる事柄があるということを神に感謝します」

ミルドレッドも,関節炎,乳がん,糖尿病など,幾つかの病気を抱えていますが,キャロルと同じように,問題のことばかり考えないようにしています。
こう書いています。

「人を愛するよう,まただれかが病気の時にはその人を慰めるよう心がけています。それは自分のためにもなっています。他の人を慰めている時には,自分のことを心配しないでいられるからです」



キャロルとミルドレッドは,他の人を慰めることにより,喜びを味わっている。

ふたりとも,良い医療を受けることに関心を払いつつも,自分の健康のことばかりではなく,どう振る舞うか,時間をどう用いるかに気を配っています。
その結果,心に喜びを抱いており,だれもそれを奪うことはできません。
それだけでなく,他の人たちから深く愛されており,様々な試練のもとにある人を力づける存在ともなっています。

「試練に耐えてゆく人は幸いです。なぜなら,その人は是認されるとき,……命の冠を受けるからです」


知恵は「これをとらえる者たちには命の木」となり「これをしっかりととらえている者たちは幸いな者と呼ばれる」ことになります。
それが本当かどうか,記されている知恵を生活に当てはめることによって確かめてみてはいかがですか。


失敗しても健全な考え方をする。


くじけない人というのは,失敗しても,自分を「だめな人間だ」とか「無用な存在だ」とかいった自滅的な言葉でとがめたりしない人です。

「打ちひしがれた霊は骨を枯らす」
とあります。

「柔軟さの力」という本にも,何事にもくじけないでいたいと思うのであれば,「過ちや失敗はだれにでもある,ということを認めなければならない。自分の過ちや失敗にどう反応するかは,自分次第なのである」と述べられています。


「感謝を抱いていることを示しなさい」


このアドバイスは有益です。
種々の研究結果からも明らかですが,生活の中で経験できる良い事柄について思い巡らし,いろいろな人から示される親切に感謝するなら,多くの場合,とても幸福な気持ちになります。