今年に入り、早くもあっちゅう間に二月突入で何がなんだが何だかの状態である。
しかし、わたしなりの念を抱いて、日々駆け抜けている。

昨年から引き続き、若い若いミソラの子たちの始動を強化しつつ、今年からは妥協は赦されまいとキチガイになっている。

ネームバリューに頼れば楽だが、わたしは出来上がった人より、これからの可能性ある役者志望を求めているし、見守りたいという一心だ。
しかしながら、稼げる役者でなければ、お金は湯水のごとく消えていく。
「負担になるだけならやらない方が良いよ」
と、ある先輩に促された。

わたしは先輩のマネージャー方々に触発し、励まされ、刺激を受けているが、なかでもずっとずっと古くからマネージャー業しか知らず、君臨している人たちを好まない。
いろんな発想で器の広い人は話していてもよく分かるが、基本、わたしは好まない。
そして、ネームバリューに頼る人々。

その人がその人物を作り上げ、有名な部類に押し上げたならまだしも、あたかも自分がそうしたように振る舞う。
この業界は広いようで狭い。
いろんなタイプがいる。
どの世界にいようが、様々な人間模様が渦巻くのだが、謙虚にならなければ生きていけない。
どう藻掻いても、良い人材がいれば強いのだが、わたしのように小さな事務所だから、上から目線で小馬鹿にする連中もいるだろうが、メゲナイ。アキラメナイ。
希望を捨ててしまえば、それで終わりなんだ。

良い人材を抱えていても、今ここにいる面々を突き放すことも大事。
手を差しのべてあげなければやれない卵(まだそこから出られない)は手塩にかけていかなければ生まれない。


切実にやはり、ちゃんと前向きな可能性ある役者がわたしのテーマ。
動物的五感でしかないのだが、それもハズレの場合もある。本人しだいだからだ。

何と言ったって、信じなければ、誰もそこから世の中に知れ渡っていかない。
誰かが、その役者を信じなければ、名前は出ていかないのだ。


無名だからこそ、遣り甲斐がある。
わたしはきょうも、奮闘する。