おはようございます。室温22.6℃、朝一血圧(130/100/71)。

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  1. ねぇ、聞いて
  2. 目を動かすと顔が痛い
  3. AI診断開始
  4. しかし本番はここからだった
  5. 口座番号問題

 TODAY'S
 
本末転倒

■ ねぇ、聞いて

先週末のテニスコートである。

ラケットを持ちながら、
Kさんが近づいてきた。

70歳を過ぎても、
人は「ちょっと聞いてくれよ」という顔をするとなぜか分かるものだ。

しかも、
その顔はだいたい何か悪いことが起きている。

Kさんもそうだった。

「いやあ……色々あってさ」

出た。

シニア世代の万能言葉。

“色々”。

この一言で、

  • 病気
  • 役所
  • 家族
  • スマホ
  • 年金
  • 血圧

全部入る。

便利すぎる日本語である。

■ 目を動かすと顔が痛い

まず第一弾。

「目を動かすとさ、左目の横がグーーッと痛むんだよ」

しかも、
ただ痛いのではない。

目玉を横に動かした時だけ、
奥の神経を誰かに引っ張られるような、
嫌な痛みらしい。

Kさん、
実演してくれた。

「こうすると痛いんだよ」

と言いながら、
目だけ左へ。

しかし、
こちらから見ると、
ただの変顔している人にしか見えない。

私は心の奥で笑いながらも、
少し気になった。

「前にもあったの?」

「ある。病院色々行った。でも医者は分からないって」

ここで私は思った。

“分からない”

ほど怖い言葉はない。

人間、
「原因不明」と言われると、
逆に想像がかなり膨らむ。

  • 脳?
  • 神経?
  • 血管?
  • 失明?
  • ストレス?

人間の想像は、
勝手に重大事件へ発展させる。

私は言った。

「いや、体が痛いって言ってるなら、何か原因があるんだよ」

「大きい病院でちゃんと調べた方がいいよ」

「もし脳から来てたら怖いし」

するとKさん、
急に黙る。

やはりシニアには、
“脳”と“心臓”という単語は効く。

テニスの試合中より真顔になる。

■ AI診断開始

しかし今は便利な時代である。

昔なら、
「まあ様子見だね」
で終わっていた。

ところが今は違う。

テニスコートのベンチで、
汗だくのおじさん二人が、
スマホ片手にAI診断を始める。

まるでテニスコートは未来の医師団である。

しかしやっていることは、
目玉の症状相談。

AIは冷静だった。

「眼精疲労、目の周囲筋肉の緊張、神経痛の可能性があります」

なるほど。

考えてみれば、
Kさんは1日中パソコンを見ているらしい。

現代人の目は酷使されている。

  • スマホ
  • テレビ
  • パソコン
  • タブレット
  • 車の運転

さらにテニス。

ボールを追い、
相手を見て、
ラインを見て、
スコアを見て、
帰宅後またスマホ。

目だけ24時間勤務。

完全にブラック企業である。

しかも年齢を重ねると、
部品も少しずつ摩耗する。

それでも人間は、
「まだ使える」
と言って動かす。

10年目の中古車より7倍頑張っている。

■ しかし本番はここからだった

Kさんの“色々”は終わらなかった。

「それだけじゃないんだよ……」

来た。

第二弾である。

朝起きたら、
ポストに「警察のメモ紙」が入っていたという。

もう、
この時点で嫌な予感しかしない。

警察からの紙で、
いい知らせはまずない。

なんでも、
同じマンションの駐車場で、
隣の車の人が夜帰宅。

その時、強風。

ドアを開けた瞬間――

“バンッ!!”

風に持っていかれ、
ドアが大きく開き、
Kさんの車に命中したらしい。

相手はちゃんと警察へ届けた。

そこは立派。

しかしKさんは、
かなり落ち込んでいた。

「凹んだんだよ……」

「修理30万だって……」

私は思った。

ドア一枚で30万。

もはや車は精密工芸品である。

昔の軽トラなら、

「おお、へこんだな」

で終わる。

今は違う。

少し曲がるだけで、

センサー、
塗装、
部品交換。

車が美術品化している。

■ 口座番号問題

ところが、
問題は修理代ではなかった。

Kさん、
急に小声になる。

「口座番号……教えていいかな……」

私は一瞬、
何の話か分からなかった。

どうやら相手は、
保険は割引が下がるので使わずに、
自腹で払うから振込にしたいらしい。

しかしKさんは悩む。

「口座番号は個人情報だからなあ……」

私は言った。

「いや……振り込むなら教えるしかないよね?」

「同じマンション内なら、現金でもらえば?」

しかし相手も相手で、
証拠が残る振込を希望らしい。

現代は、
なんだか面倒くさい人種が増えた。

Kさんは、
まだ悩んでいる。

「でもなあ……」

もうここまで来ると、
車の凹みより、
人間の不安感の方が大きい。

私は思った。

日本人は、
変なところでバカ慎重である。

銀行口座を教えるだけで、
国家機密を渡すくらい悩む。

でも逆に言えば――

そうやって、
小さなことを気にして、
不安になって、
誰かに話して、

「これ大丈夫かな」

と確認しながら生きている。

だから人間は、

少し面倒で、
少し騒がしく、
小さなことで悩んでいるくらいが、

案外ちゃんと生きているのかもしれない。

しかし――

Kさんの“色々”は、
まだ終わっていなかった。

本当の問題は、
ここからである。

つづく