おはようございます。室温24.2℃、朝一血圧(133/92/72)。
昨日は、さつまいもの畝(黒マルチ)立てを3本設置しました。
これからは、霜の心配もないでしょうから、本格的な夏野菜モードです。

AIにない第六感
■ Niki Farmの畑から見えること
今朝も畑に出た。
キャベツ畑の残渣にモンシロチョウが群がっている。
じゃが芋のアブラムシを確認して、トマトの状態を見る。
私に誰も指示するわけもない。
マニュアルもない。
でも畑の、自然の従業員たちは毎日確実に仕事をしてくれる。
- 雑草が生えれば、虫が来る
- 虫が来れば、鳥が来る
- 鳥が来れば、種が落ちる
説明書なしで、自然のバランスができていく。
これ、日本社会とそっくりだと、毎朝感じるのです。
■ 後見制度が悩んでいること
成年後見制度の改革が、今まさに大きく動いています。
長年言われてきた課題がある。
- 「後見人がついた途端、本人が何も決められなくなる」
- 「財産は守られたが、生活が守られていない」
- 「制度に入ったら、出口がない」
つまり、
「守りすぎて、その人らしさが消える」
という問題です。
だから今、方向性が変わってきました。
👉 「代わりに決める」から「一緒に決める」へ。
これは実は、かなり大きな転換です。
畑で言えば、
「全部農薬で完璧に管理する」から、
「生き物が共存できる畑にする」への転換に似ています。
■ AIも同じ悩みを抱えている
面白いことに、AIの世界も今、同じ問いに直面しています。
- 「AIが全部決めるべきか」
- 「人間がどこまで関わるべきか」
自動運転でも、医療診断でも、介護ロボットでも、
「どこまでAIに任せるか」の線引きで、世界中が悩んでいます。
後見制度とAI。
悩みの構造が、実はそっくりなのです。
■ まだら認知の人の現実
特に難しいのが、いわゆる「まだら認知」の人です。
- 今日は調子がいいので、自分でウオーキングに行く
- でも明日は、診察券がどこにあるか分からない
- 電話勧誘に弱く、詐欺に弱い
- ATMの前で、立ちすくみ悩む
- 出かけるが、何しに出たか忘れてる
完全に判断できないわけではない。
でも、確かに時々危ない。
制度はここで止まる。
「後見が必要か、不要か」の二択では、この人を守れない。
畑も同じです。
「この虫は益虫か、害虫か」
一律に決めると、畑全体のバランスが崩れる。
白か黒かで決められないのが、生き物の現実です。
■ AIは、まだら認知の人を助けられるか
正直に言う。
今のAIにできること。
- 服薬の飲み忘れをアラームで知らせる
- 「今日は何日、何曜日?」に優しく答える
- 不審な電話には出ないように着信拒否する
- 家族に「今日は少し様子が違います」と通知する
- 銀行の異常な出金に気づいてアラートを出す
これは、すでに技術的には可能だし、一部は始まっています。
でも、AIにまだできないこと。
Aさんが診察券をなくした時、
「あ、また始まった」
と笑いながら、一緒に探すことは、できない。
まだら認知の人に本当に必要なのは、
「正確な情報」だけじゃない。
「今日も大丈夫だよ」という空気。
調子のいい日と悪い日のグラデーション。
プライドと恥ずかしさへの配慮。
AIは、そのグラデーションを感知して、自然に寄り添うことはまだ苦手です。
それが人間の感覚、
「第六感」なのかもしれません。
■ 制度改革とAIの、めざす場所は同じかもしれない
後見制度改革が目指しているのは、
👉 「その人らしい暮らしを、できる限り続けること」
AIが目指している介護・福祉支援も、
👉 「その人の自立を、さりげなく支えること」
方向は、同じです。
「代わりにやる」のではなく、
「そっと横にいる」。
Niki Farmの畑も、そういう場所でありたいと思っています。
管理するのではなく、一緒に育てる場所。
■ では、人間はどこに立つのか
制度が整い、AIが進化しても、
たぶん最後に必要なのは、
顔を見て、
声のトーンで、
「あ、今日はしんどいな」
と察する、人間の目と耳と第六感です。
「近所のおばちゃまセンサー」は、
まだ制度化できていない。
AIにも、まだ実装されていない。
でも、それが人には一番大事だったりする。
- 元警視庁で多くの現場を見てきた経験からも
- 行政書士として相談を受ける日々からも
- そして毎朝畑に出る中からも
同じことを感じています。
■ 今日の気づき
👉 後見制度改革もAIの進化も、めざす場所は同じだ。
「その人らしく生きること」を、そっと支えること。
ただし最後の一歩は、人間にしか踏み出せない場所にある。
そして今日も、どこかのAさんが診察券をなくしている。
AIがアラートを出す前に、
隣の誰かが、
「あ、また始まった」
とつぶやいて、一緒に探している。
Niki Farmの畑も、そんな場所でありたい。
それはマニュアルや説明書なしで、なんとなく回っている場所。




