おはようございます
人はどうして切羽詰まらないと行動しないのか、わかっているのになかなか決断できない事ってありますね。

思い立ったが吉日
いや~、気づいたら自分の年齢はだんだん父親に近づき祖父をすでにはるかに超えていた。
なんてことを考えていたら、ふと
「うちの家系って、ちょっと独特だよなあ」
と思い返すことが増えまして。
ほら、普通は親が家を建てるとか、家族みんなでどこかに集まるなんて、一種の
「理想的な未来」
みたいに思うじゃないですか?
でも現実って、なんか不思議な方向に進んでいくことが多いですよね。
我が家の場合も、いろんなドラマがありました。
土地を買ったり、家を建てたり、そしてなんだかんだで身内が同じ町内に集まったり。
でもね、ここからが面白いところで、皆が集まっても、肝心の当事者たちが亡くなってしまって、なんと
「近所に住んでいるけど他人同士」
みたいな状況になっちゃったんです。
それでは、私の家系の話を少しさせていただきます。
実は、うちの家族は少し早死にしやすい家系です。
祖父は50代で亡くなり、父も69歳で他界しました。
私も同じ運命を辿るかもしれませんが、最近になって父の年齢に近づいてきました。
一方、母は昭和9年生まれで、今年90歳になります。施設で元気に過ごしており、少々認知症がありますが、体はとても健康です。
私には母の血が半分流れているので、まだまだ長生きできるかもしれないと期待しています。
さて、父の話に戻りますが、はるか昔、父は旭川市に土地を買いました。
定年退職後、そこに家を建てる予定だったんです。
当時の親世代って「土地は財産」という神話がありましたからね。
今思うと、世の中の経済学者やマスコミにうまく乗せられた感がありますが、それでも土地の値段は物価上昇に合わせてなんとか手放せたので、まあ良かったのかもしれません。
とはいえ、固定資産税や雑草の処理費用には頭を悩まされましたが。
父は国家公務員を早期退職し、その後帯広市の民間会社で役員として天下りをしていましたが、数年後には岩見沢市に家を建てました。
これは、祖母が住んでいた町内で、彼女の家まで数百メートルしか離れていません。
ところが父は肺がんを患い、わずか69歳で他界。
母はその後も祖母の近所で暮らしていました。
ちなみに、父の弟夫婦は祖母の隣に家を建てて住んでいますが、校長先生を退職した後、がんで61歳の若さで他界してしまい、叔母だけが住んでいます。
なんだか家族がみんな岩見沢市に集まることになったんですが、父も弟も他界してしまって、母の近所には他人同士の三人が住むことになったのです。
祖母の隣に弟の嫁、そして同じ町内に母がそれぞれ一軒家を構えているんです。
こうして、元元は他人同士の三人が、同じ町内に隣り合わせで暮らしているというのは、なんとも不思議な光景です。
父には妹が3人いて、彼女たちは全員札幌に住んでいます。
車で1時間くらいの距離です。
彼女たちはそれぞれ悠々自適な生活を送っているようです。
さて、これから祖母の介護や面倒をどうみるのでしょうか、それと娘3姉妹との関係はどうなったのでしょうか?
母、叔母、弟夫婦のこの奇妙な近所関係が山あり谷ありでどんな展開を見せたのか、ちょっと楽しみでもあり、考えるだけで笑いがこみあげてきます。
これから皆さんにも笑いをお届けできれば幸いです!