環境の違いや考え方、今までの人生がその人を作っています。

 

 

 

年を重ねるとその人なりが出来上がってしまって分かっていてもなかなか短所はなおせないものです。

 

 

 

性格は仕方がないとしても人への気使いは別物。思いやりはどんな人にもあるはずです。

 

 

 

誰しもいままでに何回も助けてもらったり、癒してもらったことがきっとあったはずです。

 

 

 

「ありがとう!」その一言が言えるかどうか。ところが意外と言えない人が多くいます。病んだ時には「ゆっくり休んでね。お大事に!」は沁みます。

 

 

 

「照れくさいから言えない。」という人もいますが…。その一言はそんなに⁈

 

 

 

「小さな時にきっと親から教えてもらわなかったのかも」という優しい?言葉をかける人もいますが、今までの生きてきた時間で十分学習できたはずです。

 

 

 

 

訓練生を卒業して、長いフライト。ファーストクラスの担当になったことがありました。

 

 


搭乗早々、コートをお預かりしたり、雑誌や新聞をお持ちしたり、コーヒーを、食事を…。

 

 

 

結構こまごまとした仕事がありました。最初は緊張していましたが、必ず「サンキュー!」「ありがとう!」と言葉をかけてくださいました。それが自然でとても心地よく、私もこんなおとなになりたいと思ったものです。

 

 

 

そうしよう!そうであれ!と思っていても年を重ねるごと、手のひらから知らぬ間に誓ったことは零れ落ちているものですが、その言葉をかけることだけは、なんの身構えもなくあらゆる場面で使っている私がいます。

 

 

 

子供には何か頂いたら「ありがとうと言うのよ。」と親は教えますが挨拶のできない、お礼を言えない子の親が案外自身が言えていない場合も見受けられます。親は子供の手本。まずは自分もというところでしょうか。

 

 

 

小さなもの弱いものを育てることで、優しさが育まれます。今ある自分を思えば「ありがとう」と言えます。

 

 

 

自分がつらい思いをしたとき、同じような境遇に陥った人にどんな言葉をかけられるかそんな時にその人!が現れます。何も人気取りの口上手ではなくとっさに出る言葉、そこで今の自分の心理状態もわかります。

 

 

 

余裕のある時は優しくなれて、うまくいってないときは相手のせいにする。

 

 

 

何度も反省して、学んだはずなのに果たして人への思いやりや感謝が自分にはあるのかと…。それらを身近に伝えるのが「ありがとう。」と言う言葉なのかもしれません。

 

 

 

「人のふり見て我がふり直せ」小さなころ何度も聞きました。

 

 

 

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」「人は自分の鏡」そのときはそれほどしみる言葉ではありませんでしたが、今はそれを私に話した家族の気持ちがよくわかる気がします。

 

 

 

「生きていくのには必要なこころ構えだよ」と言いたかったのだと思います。

 

 

 

今朝もいつもどうりに散歩に行けたことに感謝です。台風が遠くても迫っているのが分かる雲の様子です。

 

 

 

この年代になると何があってもおかしくない。身体も心も…。

 

 

 

朝がいつもと同じなのが何よりなのかもしれません。自分の体に、傍にいるニケに「ありがとう!」です。

 

 

 

今日もいい日にしましょう!