昨日、知り合いの葬儀に参列しました。

 

 


「ご香典は遠慮します。」

 

 


彼女の家族らしいというか彼女らしい静かで温かいお別れでした。

 

 


ちいさなお葬式をひっそりと身内だけでしたいという遺族の意思表示なのかもしれません。昨今、お葬式の様式も変わってきました。

 

 

ゆっくりお別れが出来たとは息子さんたちの言葉。家族に愛されていたんだなあとこちら迄嬉しくなりました。

 

 

 

子どもたちが幼稚園の時からのお付き合いでしたが、そんな彼らも立派なおじさん?叔母さんになってあのころの私たちがそのまま彼らの中に納まったみたいにきれいに世代交代されているのだと感じました。

 

 

 

昭和のお葬式は親せきも多かったですが、何年も顔を見せなかった田舎のおじさんや、体調がすぐれない叔母さんもお通夜にやってきて、和室二部屋をぶち抜いた大広間?とは少々大袈裟ですが、そこにいくつもテーブルが並びました。座布団が足らない、お茶碗が…。となると近所の人が抱えて持ってきてくれました。

 

 

 

仕出しを頼むこともなく、大勢の近所の夫人が予行演習をしたみたいに、手際よく、おにぎりや煮物を作ったり、廊下や玄関を素早く掃除してきれいにしてくれました。

 

 

新婚のお嫁さんは、言われるがままコマネズミみたいに…。

 

 


それはお互い様の精神。次回近所のおうちに不幸があれば同じようにまた集まります。

 

 

 

忙しくてぐったり疲れたでしょうが誰一人「疲れたー」とは言いません。

 

 


台所で熱い日本茶と自分たちが作ったおにぎりをほうばりながら故人の話。自然と昔の話になりました。小さな私には、知らなかった祖父の話も聞けて、とても興味深いものでした。

 

 

 

今までは挨拶する程度のおばさんたちが妙に身近な存在になって、子供ながらに近所の人たちが好きになりました。

 

 

 

葬儀も無事終わって、家族だけになっても、いろんなところで後かたずけをしているおばさんやおじさんの姿は妙に気高く?美しいと思えたのはなぜでしょう。

 

 

 

今は個の時代。近所付き合いもあまりしなくなって、お醤油を借りるのもはばかれるようなお隣さんです。

 

 

それは仲が悪いとか無理に付き合うということではなくて、時代!としか言いようがありませんが、それでも昭和の時代が懐かしく、「良かったなあー」と思うのは私だけでしょうか?

 

 

 

「それは年のせい!」と息子なら言うかもしれませんが、年齢の割にドライな私もやはり人の温もりは大切にしたいと思っています。

 

 

 

一つの時代に一緒に生きた身内の最後は、盛大にとはいかなくなってきた現代ですが、見かけの問題ではなく、今の家族が出来る精一杯のお見送りをして故人を偲びたいものです。

 

 

 

見送る人の故人への感謝や寂しいけれど区切りの気持ちの儀式。

 

 

 

葬式は簡素に小さく!焼いてくれるだけでいいと年長者は口をそろえて言います。それは家族に気を使って、面倒をかけたくないという気持ちが大いにあるからです。

 

 


「そんなこと言ってたけど…。」
育ててくれたことに感謝して、命のバトンタッチ、その家ごとの見送り方をしたいものです。

 

 

 

時代によって送り方は変わって当然。変わらないのは亡くなられた方へのリスペクト。

 

 

 

見送る側の心にそっとその人をしまうことかもしれません。

 

 

 

今日もいい日にしましょう!