70歳を過ぎるといろんなことを忘れやすく覚えにくくなります。

 

 

 

だからと言って、あきらめてしまえばおしまい。

 

 

 

それを悩んで鬱状態になる人もいて、なかなか年を重ねるのも大変なことです。最後の修行時代⁈かもしれません。

 

 

 

体も丈夫で頭もあんなにしっかりしていた親が、自己中心の我儘な老人になって足腰の衰えを目の当たりにするとショックを受けてたまに辛辣?な言葉を発してしまうという知り合いがいます。

 

 

 

親はそれを真に受けるのか、流す老人力を発揮出来るかで、親子関係は変わってきます。

 

 

 

親が大切な存在であることや、どんなに手を焼く老人になろうと最後まで面倒をみるのは自分たちの責任であることは百も承知しています。

 

 



親は子供のそんな気持ちはよくわかっているのに、おとなとなった子供たちの言葉に腹を立てたり自分が情けなくなったりするものです。

 

 

 

親の老後への不安や、寂しさも入り混じって、親以上にその一見もろくて、でも堅固な壁の前で途方にくれるのは大なり小なり。

 

 

 

ついこの間までは親の面倒をみる立場であっても知らぬ間に立場は逆転していて今更ながらその時の親の気持ちが分かるときがあります。

 

 

 

もう少し優しくできなかったのだろうか?

 

 

 

私自身も、着実に脳細胞が毎日破壊⁈していることを実感しています。

 

 

 

二階に上がって「さて私は何を取りに来たのか?」と自問自答。

 

 

 

答えが出ないまま全く違うモノへ気がいって最初とは程遠いものを持って降りることがあります。そんなときは自分に突っ込みを入れる!

 

 

 

こんなことは序の口。昔なら探していたものの最後に見た時の事や、「こんなところに入れるとまた忘れるだろうなあ」と思ったことまで分かっていたのに今では手あたり次第あちこち探す羽目になります。

 

 

「この家の中にある。でも冷蔵庫にはない!」など訳の分からないことを言って探すのですが、そのことばかり考えていると余計に隠れてしまうように思います。

 

 

 

数日前も探し物。何度も同じところやこんなところにあるはずがないと思いつつも自分を信用していないので覗いてみます。

 

 

 

それでも見つからないときはできるだけ他に意識を移して忘れるようにしています。ある日こんなところにどうして?と思う場所からひょっこり出てきて、情けないやら、出てきたことが嬉しいやら…。

 

 

 

これが今の私の立ち位置です。

 

 

 

「私何を探していたっけ?」と人に聞いてもわかるはずもなく、出てくるまでは悶々とするものです。

 

 

 

二日ほどお気に入りのピアスを探していました。今日はもう一度気になってしょうがないので同じ袋を開きました。

 

 

やはり答えは同じ。ところが前ポケットの小さなカードケースの裏。表からは見えない、中を探しても見つからないとことからひょっこり出てきました。どうしてここに?今も謎です。

 

 

 

見つかればものすごくいい日になったような、晴れ晴れと⁈した気分になります。なんとまあ単純な…。

 

 

 

シルバー、ゴールドも悩める年代ですが、そんなボケ具合もまた楽しと思えれば平和かもしれません。

 

 

 

親たちが通った道をいよいよ私も踏み出しているようです。

 

 

 

今日もいい日にしましょう!