他人の性格はよくわかるのに自分のそれはと聞かれてすぐに答えられない自分がいます。

 

 

とっても複雑な人間のようで、すごくシンプル。単純なところもあります。

 

 

 

10人に印象を聞いたら果たして同じ答えを出す人は何人ぐらいいるでしょうか?

 

 

 

家庭で、職場で、または学校で、スーパーでと一日にもいろんなところで人と会って話します。

 

 

話しぶりも体調によります。うまくいっているときと悩んでいるときでも違うような…。

 


心の中にはきっといろんな色の小さなボールがいっぱいあって、それが話すという行為で目には見えない状態で口から出てきます。

 

 

 

その時に出た多い色に左右されているのかもしれません。赤が多かったら元気で積極的、青なら落ち着いていて静か。黄色は少し恥ずかしがり屋だったりと…。

 

 

 

沢山のいろんなボールを持っているということが、情緒豊かということになるのかも!

 

 

 

その一方で一人の中に20人もの人格がある人の犯罪はその中の一人!というややこしいお話がありました。

 

 

 

その犯人が出てくるまで逮捕できない。例えば男性の体には少女、老人、僧侶、学者…その一人にずつ名前がついています。天真爛漫だったり神経質、短気ですぐ癇癪を起す人物もいて、異次元のスポットライトの場所に現れた人物がその時の彼。到底お芝居とは思えない話しぶり。

 

 

実際の人物をモデルにしている内容は不思議だけでは表現できない内容でした。

 

 

 

そこまで極端ではなくとも私にも2,3人はいると思っています。

 

 

初めての人に会ったとき、思ったより活発な言い方だったり、落ち着いて丁寧に話したり、時にはこれも私?と思うほど消極的だったり…

 

 

 

まあそれもひっくるめて私なのですから、その時々の出会いで印象が変わっていても仕方がないような気がします。

 

 

 

 

第一印象は大切ですがそれはいやな感じでなければ良しとなり、だんだんと回を重ねるうちにいろんな相手がみえてきてこの人楽しい!となるかどうかです。もう一度会いたいと思えるかどうか。

 

 

 

「きっとこの人はこうだろう。」とはこちらの精神状態での感想であってその時々で印象は変わるものです。おたがいフラットな精神状態ではない場合もあるのですから。

 

 

 

私ってどんな人間?と自分に問うてもすぐに出る人は少ないのではないのでしょうか?

 

 

 

グウタラだと思っていたらある時は几帳面な自分が出てきたり、大盤振る舞いしたくなるほど気が大きくなったと思えば、ケチな買い方。

 

 

何が基準なのか⁈人類の総人口の何倍もの人格がこの地球には存在しているということかもしれません。

 

 

 

今日の私はさて、どんな性格が出ているのでしょうか?

 

 


今日から八月。庭の蝉はあちこちで鳴いてそれは耳の奥に残ります。

 

 

今日もいい日にしましょう!