岡本太郎さんの「自分の中に毒を持て」は1993年に発行されてます。
ニケが初めてよんだのは、かれこれ、10年以上前30代頃でしょうか。
改めて読みましたが、その熱量すごい!
以下、引用です。
自分を認めさせようとか、この社会のなかで自分がどういう役割を果たせるんだろうとか、いろいろ状況を考えたり、成果を計算したり、そういうことで自分を貫こうとしても、無意味な袋小路に入ってしまう。 今、この瞬間。まったく無目的で、無償で、生命力と情熱のありったけ、全存在で爆発する。それがすべてだ。
システムのベルトコンベアーに乗せられ、己を失って、ただ惰性的に生活をつづけているというのなら、本質的に生きているとは言えない。一人ひとりが強烈な生きがいにみちあふれ、輝いて生きない限り。 確かに今日の小市民生活は物質的には恵まれている。暮しは昔に比べてはるかに楽になってはいるが、そのために生命の緊張感を失い、逆に空しくなっている。
個人財産、利害得失だけにこだわり、またひたすらにマイホームの無事安全を願う、現代人のケチくささ。卑しい。小市民根性を見るにつけ、こんな群れの延長である人類の運命などというものは、逆に蹴とばしてやりたくなる。 人間本来の生き方は無目的、無条件であるべきだ。それが誇りだ。 死ぬのもよし、生きるもよし。ただし、その瞬間にベストをつくすことだ。現在に、強烈にひらくべきだ。未練がましくある必要はないのだ。 一人ひとり、になう運命が栄光に輝くことも、また惨めであることも、ともに巨大なドラマとして終わるのだ。人類全体の運命もそれと同じようにいつかは消える。 それでよいのだ。無目的にふくらみ、輝いて、最後に爆発する。 平然と人類がこの世から去るとしたら、それがぼくには栄光だと思える。
なんかつまんないな〜とぼやいてる自分を蹴飛ばされました
太郎さんはただの自由人ではなく戦時中の時代も経験している。
その抑圧された時代から、破天荒なまでに自分を貫き続けてきたのが凄さだと思う。
それにしても、気軽に出歩けない、会えない、条件付きの自由がどんどんと増えているこの頃は、この本で太郎さんが語っている時代となにが違うのか。
激しく挑み続けても世の中は変わらない
だけど挑むということで僕自身が生きがいを貫いている