東京五輪招致委員会「女性隊長」のリーダーシップ | graybanのブログ

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PRESIDENT 2013年7月29日号 掲載

■個性派集団をまとめるときやってはいけないこと

スーパーウーマンは忙しい。

荒木田裕子、59歳。2020年東京五輪パラリンピック招致委員会のスポーツディレクターとして、世界を飛び回る。5月下旬から、大事な招致プレゼンテーションを実施したロシアのサンクトペテルブルクからスイスのローザンヌ、シンガポール、ソウル、はたまたローザンヌ……。

6月の1カ月で日本に滞在したのはわずか6日だった。日本オリンピック委員会(JOC)理事、JOCアスリート専門部会長でもある。つまりは東京招致の最前線に立ち、国内のアスリートたちをまとめている。

6月某日、台風接近の午後、東京都内のホテルのカフェでインタビューは強行された。風邪気味ゆえか、メガネの奥の目に疲労の色がにじむ。

疲れは? と聞けば、ぴしゃりと言われた。「ない」と。

「世の中にはもっと忙しい人はいっぱいいる。それに比べたら、わたしの人生、ラクだと思う」

その馬力、いやモチベーションはどこからくるのか。

「やっぱりオリンピック?パラリンピックを日本に持ってきたいもの。わたしにとって4回目の招致だけど、これほど本気になったことはなかった。前回はウオームアップなしで、いきなり走れと言われた感じだった」

過去の3回とは、1988年名古屋、08年大阪、16年東京の招致活動を指す。4年前の投票で決まった前回の東京招致では、荒木田はJOC理事となって途中から参加した。

4年前のコペンハーゲン、IOC総会の投票直前、荒木田はプレゼンターの1人として熱弁をふるった。結果は、リオデジャネイロに敗れた。複雑な心境だったことをおぼえている。

「負ければ悔しいけれど、ほんとうにやるだけのことをすべてやり切ったのか、という自問があった」

完全燃焼できたのか、ということである。どこか中途半端な気持ちがあったのだろう。敗戦の夜、ホテルで泣きながら、選手たちと一緒になって、招致委会長の石原慎太郎都知事(当時)に訴えた。もう1回、五輪招致にチャレンジしてください、と。

「アスリートは1回であきらめてはいけない。何事も、できるまでやるんだって。ははは。たしか石原さんの目もウルウルしてきて、もう1回やっていただけると思った」

荒木田は日本に戻ると、選手たちのネットワークづくりを始めた。それまでオリンピアン(五輪選手)はJOCと同じく文部科学省管轄、パラリンピアン(パラリンピック選手)が厚生労働省管轄との区別があった。が、荒木田はそんな垣根をとっぱらい、JOCのアスリート専門部会にパラリンピアンをオブザーバーで加えた。

アスリートをネットワーク化し、五輪パラリンピックの勉強会を発足させた。オリンピアンでも国内にはざっと4000人はいる。パラリンピアン、アスリートを加えると、無数の人が全国各地にいることになる。そのパワーを結集させるのだ。

「おたくの町内の五輪選手を発掘してくださいって。その地元の選手たちにも盛り上げてもらって、うねりをつくっていく。オリンピックムーブメントってスポーツを通じて世界平和に貢献しようということだから」

面倒見のよさは生来のものだろう。自然と周囲から慕われる。JOCのアスリート専門部会では選手たちから「隊長」と呼ばれる。先日も「隊長、ついていきます」と言われた。苦笑しながら説明する。

「“あなたが、先、行ってよ”って。わたしもう、シニアメンバーだから。つい最近まで“おネエ”だったり、“ママ”だったり、もうたまらない」

選手に対応する際、大事にしているのが「平等」と「情報の共有」である。

「トップアスリートは個性が強いけれど、わたしは個性には合わせない。ただ、みんな平等に扱っている。オリンピアンもパラリンピアンもノン?オリンピックの選手も、みんな一緒なの。そして情報は必ず、全員で共有する。いいも悪いも、ありとあらゆる情報をみんなに流す。隠し事は嫌いなんです」

情報が偏ると、互いに疑心暗鬼になったり、陰口をたたいたり、ロクなことがない、と言う。メールでも、情報はほとんどを一斉送信する。

あまりパソコンを見ない人たちには、携帯電話にショートメールを送る。〈メール入れました。パソコンみてください〉と。


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