文学青年 | にかぽの日記

文学青年

どうやらのどの痛み以外は治ったみたい。平熱に戻った。回復力はえー。っつうか、これ本当に風邪?ただの過労かなんかじゃないの。あっ、でも過労でのどは痛くならないか。


「文章上手いですね」とたまに言われる。最初に言われたのは小学生のとき。何かの作文を褒められて、それが学校の文集か何かに掲載された。詩が名古屋市の機関紙に掲載されたこともある。そうなってくると、自分には文才があるのではないかと思うようになり、いつしか作家を目指すようになった。


小学校6年のころ、父親の仕事の関係で父と私だけバンコクに滞在することとなった。母と弟は日本。夫婦仲が悪かったこともあるが、母親が仕事を辞めたくなかったというのが家族が離れ離れで暮らすことになった大きな理由だったと記憶している。それはさておき、バンコクに行くと、タイ語だからテレビを見なくなる。そうすると本を読むようになる。バンコクの2年間の滞在中、私は恐らく千冊以上の本を読んでいると思う。


このバンコク時代の読書経験が私の世界を広げた。テレビや映画よりも、本に書かれたことを自分の脳の中で自分の想像力を駆使しながら映像化することに魅力を感じた。映画好きや芝居好きの人の気持ちも後になってわかるようになったが、当時の私は、なぜ本の数倍ものお金を払い、他人から押し付けられる映像を観にいくんだろうと思っていた。


私が心酔していた作家は遠藤周作。その他の作家の有名な作品はことごとく読み漁ったが、全作品を残らず読んだのは遠藤周作だけだ。特に彼のエッセイは大好きで、私の生き方に少なからず影響を与えている。そして、彼のような作家になりたいと思うようになり、共通一次試験に失敗した私は、第一志望だった国立大学の受験を諦め、遠藤周作の母校である慶応大学文学部を第一志望とした。


慶応大学の試験は大雪だった。交通機関のダイヤが乱れ、試験開始時刻が大幅に遅れたことを記憶している。雪で寒かったせいかどうかわからないが、試験中おなかが痛くなり、試験官同伴でトイレに行ってしまった。絶対合格間違いなしのお墨付きをもらっていたので、慶応に落ちたのはそのせいだと思うようにしている。


で、文学のにおいのしない上智に行くことになり、気が抜けてしまった。その結果、遊ぶ方が忙しい大学生になっちゃった。しかも、遊びと言ってもほとんどが女っけのないギャンブルばかり。今考えれば、もっと合コンやればよかった。今なら頭下げて付き合って欲しいくらいの女性がたくさんいたぞ。ホント、もったいない。


以上、真面目な文学青年だったにかぽが、どう落ちぶれていったかの話。