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やられた…

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昼過ぎに主日礼拝から戻ってきました。


今日は雨。埃っぽい毎日だったのでなんか落ち着きます。(´・ω・`)



今日の説教題は
ルカ23章26~31節

4/12までは毎週、

レント(受難週)で、イエスが十字架にかけられるまでの出来事を追っています。

何年か繰り返して聞いていますが、

イエスを十字架にかけた人は、決してピラトやユダヤ人の司祭や民衆だけではなく、


実に妬み、憎しみ、誤った正義や善を持って裁こうとした私達自身の

目が、

口が、


彼を十字架にかけたのだと、重く痛く私にのしかかって来ます。


「十字架は滅びに至るものには愚かだが、救いに預かる者には力である」

この箇所には、二種類の十字架(苦難)を担う人々を見ることができる。

祝福と自分の十字架を負うこと…。

あまりにも深い…。


実は私は自分が良しとしてキリスト教の門を叩いたわけではない。

なので、未だ十字架の意味は理解出来るのだが、そこに「救い」をまだ明確には見いだせない。

何年もいるが、求道者に甘んじている。


牧師先生は私を祈る時に「~さん」でなく、時おり「姉妹が」と仰ることがある。

私はそれを申し訳なく感じる反面、クリスチャンの皆さんが親しく仲間のように声をかけて下さるのが嬉しくなる時もあり、時に自分の心的なストレスの琴線に触れると、対人恐怖の過去が開かれてしまい、自分に侵入されないように緊張感でいっぱいになる。


半年もの間礼拝を休んでしまったのは、まだそれが落ち着かないうちに、長い熱心なクリスチャンの方々に

「信仰に励みなさいね」「何か悪いことでもあったから祈りに来たの?」「誰も皆さんそうなのよ」と、


普通の人ならたわいもない言葉をかけられ続けたことにある。


自身が救われたことを
喜び、感謝し、励ます、
親切な、素朴な人達。

彼等が決して悪い訳ではないことはわかっているけれど…。


苦しい。とても息苦しくなる。


人に依存することを私は嫌う。

怖い。

故に、主のみが私の心のドアをノックして入られた。

私はそれがとても嬉しい。言葉にうまく出来ずに混乱する私をなだめ、一瞬の平安をもたらせて下さる。


今日は牧師夫人と最後に祈る機会が持てた。


牧師先生は優しい。
しかし、夫人には支えていらっしゃった強さが感じられる。

大好きだ。

長くなったが、とりあえず礼拝にまた一年通って聖書の通読と祈りを深めていかなければと思っています。

ここんとこ、
レントの説教に痛み、人々の裏切りや自己顕示欲、それらに神経が少し参ってしまった。


やられました。
参った参った…(>_<)

今夜、大武闘大会☆

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早めに全て片付けて、

久し振りに戦国BASARAヒーロー外伝しよ☆



奥州筆頭と小十郎ネギ持って待ってさいよ~


武田一門は麗しい師弟愛で勝利あるのみ!

でもまつ姉ちゃんもいいなぁ…。

うらやましい関係

夕方になりました。

今日は暖かい一日でしたね~。


猫共は…
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あらら…

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なんか羨ましいにゃあ☆誰かに甘えた~~い!
(塚本高史の夢見た…)