さて、前回の投稿から丸一年が経ってしまいました。

 

世の中の情勢も昨年からあまり変化なく、仕事も引き続き在宅での対応が大半を占めていることもあり、以前はあんなに頻繁に巡っていたカードショップからも随分足が遠のいている状況です。

って前回も同じようなことを書いた気がしますね。

 

最近は家にいる時間が多いからか、興味がカードからお酒に移ってきたり…

特に元々好きだったウイスキーに更にどハマりし、近所の酒屋を巡る日々。

近頃のウイスキーブームもあり、人気や希少性の高いものを探し出会う時の感覚は、どこかレアカードを探す感覚に近いものを感じます。

 

とはいえカードへの興味が全く無くなったわけではなく、遊戯王や旧裏ポケモンカード以外にも、過去の中途半端になっていた古のカードシリーズのフルコンプに向けて再収集を開始したりと、何だかんだでコレクションが前進しています。

とまあ、最近の私自身の話は置いといて…

 

この記事自体は前回の投稿からあまり間を開けずに書き始めたのですが、ネタの肝となる部分の情報を探すのに随分時間が掛かり、しかも結局その情報は見つからず…

なら前回の続きということで、またこの日に合わせて投稿しようかと。

 

今日でちょうど23年前になるあの時の想い出と記憶の全てを、この記事で補完することを目的に書き上げました。

思い入れが強い分、前回よりもかな~り長文になりましたが、もし興味がある方がいらっしゃれば、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

 

前置きが長くなりましたが、以下、前回の続きです。

 

 

東京ドーム大会から数ヶ月、再試合の案内がコナミから送られてきました。

 

再試合は元々参加していた決闘者12,000人が一堂に会して行うのではなく、都道府県別で集まる地区大会として実施されました。

その中で各地区大会の参加者数に応じて入賞者(=千年原人獲得)、代表者(=千年原人とエビルナイトドラゴンを獲得&決勝大会参加権獲得)を数名選出するというもの。

 

再試合参加に向けてまず考えたのは一緒に参加する友人。

東京ドーム大会で一緒に参加したA君はすでにDM2に飽きており、元々遊戯王という共通の話題だけで仲が良かった間柄だったので却下(笑)

そもそも今思うとDM2発売当初はクラスの男子ほとんどが買ってプレイしていたほどブームが凄かったですが、1ヶ月もしないうちに飽きてしまう人が大半でした。

まあ、ゲーム性も単調ですし、全クリもすぐ出来てしまいますし、何より当時通信ケーブルを持っている人が少なくて対人戦で遊べる環境が稀でしたからね。

 

そこで一緒に参加する決闘者に白羽の矢が立ったのが、小学生から仲の良かった近所のB君。

B君とは家が近いこともあって当時良く遊んでいたり、DM発売前からお互い遊戯王が好きという共通点もあった友人でした。

本当は東京ドーム大会もB君と参加するつもりでしたが、開催が平日ということもあり親御さんの同伴ができず泣く泣く不参加となった経緯がありました。

そんな理由で、A君には再試合の連絡が来たことすら伝えずにB君を誘い、代表者目指して大会まで色々と試行錯誤することに。

 

次に考えたのは東京ドーム大会参加時の反省点。

東京ドーム大会では惜しいことなど何もなく、平凡に1回戦敗退を喫してしまいました。

ではそもそも何がいけなかったのか。

 

子供なりに考えた結果、敗因は2つ。

「対人戦の経験不足」

「根本的にデッキの組み方が間違っている」

 

前者ですが、先述したように日常で対人戦を行うこと自体が結構ハードルが高い行為であり、おもちゃ屋さんでのイベント等に参加でもしない限りは中々満足に対人戦を行う機会がありませんでした。

当時の私はそんなイベントに参加するほどアクティブでもなかったので、たまに学校にいる少し熱心にプレイしている友人と機会が合えば数戦だけ、くらいしか対人戦の経験が無い程度。

当たり前ですがCPU戦と対人戦では雲泥の差があり、相手も人である以上常に相手が嫌がるプレイングをお互いが繰り返す、という至極当然な意識が抜けていたのだと思います。

 

そして後者。

これは前者にも繋がる話ですが、予選で利用できるデッキのコスト(デッキキャパシティというものですね)が500という最少の中で構成しないといけないため、それに合わせデッキの構成もコストが少ないモンスターカードを選ぶのが前提だと思い込んでいました。

当時はジャンプの遊戯王コーナーなどでデッキキャパシティ500の構成サンプル等が載っており、それを参考に組んでいたのを覚えています。

その中でよくフィーチャーされていたのがドラゴンゾンビ。

攻撃力1600、防御力0のためコストが低いカードの中でも攻撃力が抜群に高く、こういったカードを主軸に融合を展開し上級カードを場に揃える、というのが王道の戦法だと雑誌の情報を鵜呑みにしていました。

(DM2のシステムや大会のルール等の詳細は後述します。)

 

で、ドーム大会に参加した時の感想ですが…

 

無理!!!

想定通りの流れになるわけがない!!

 

そもそも融合素材が都合よく揃って引けるわけないし、素材の片方をフィールドに出したところで融合する前にすぐ倒されてしまう…

ここがまさに対人経験の差だったのだと思います。

 

そして、東京ドームでの私の最終戦、デッキのコストが500という最少制限の中、ブルーアイズというデッキコストと割に合わない高コストのモンスターカードを出してきた対戦相手…

これが本当にずっと自分の中で引っかかってました。

 

そもそもブルーアイズは融合召喚できないし、無理矢理切り札として入れていたのだろうか…

だとすると、他にまともなモンスターカードをデッキに入れられないアンバランスな構成になってしまうし…

 

そんなモヤモヤをB君と話している中で、あることに気がつきました。

 

「あれ?てかこれってとりあえず強いモンスターカード数枚をコスト制限ギリギリまで入れて、あとは魔法罠カードとかのコスト0に近いやつを入れまくって帳尻合わせした方が強いんじゃね?」

 

ここへ自力の閃きで辿り着いた時、自分の中で大きな衝撃が走りました。

この閃きこそが、後の試合結果に繋がった大きな分岐点です。

そしてこの閃きのきっかけをくれた対戦相手にドーム最終戦で当たれたことが、本当に奇跡だったと思います。

 

DM2の仕様を一部簡単に説明すると、魔法及び罠カードは1ターン中に何枚でも使用できる、さらに手札が何枚でターン終了しても次のターンで5枚必ず補充される、というものがあります。

これを利用して、そもそも融合なんて不確定要素に頼らず、デッキの中の数少ないモンスターカードを早い段階で引いて圧殺する、モンスターカードが1枚も引けない場合は引けるまで罠カードで耐える、の戦法が最も単純で最も強力なんじゃないか、と。

 

早速B君とそれらしいデッキを作ってシミュレーションすることに。

その中でデーモンの召喚と、特に地雷蜘蛛が攻撃力の割にコストパフォーマンスが良く、それぞれ3枚投入し、あとは残ったコストでブルーアイズレベルのモンスターカードを数枚入れ、残りを魔法罠カードで調整し、大会用のデッキが完成しました。

 

 

再試合当日。

 

会場は地元から車で小一時間の場所にあるホテル。

そこに向かう際に、B君に「今日はお前はオレの弟(の設定)だからな」なんて言いながら最終調整の対戦をしていたのを今でも覚えています。

 

会場に着くと通されたのは、よく表彰式等で使われそうな、そこまで広くないイベントホール。

下にはふかふかの絨毯が一面に敷いてある場所でした。

 

再試合の連絡時に案内されていた通り、会場での物販は一切なく、会場を盛り上げるイベンターもおらず、コナミ社員と思われる審判が数名と地区予選参加者のみ。

開始時間になったら審判が淡々とルール説明を始め、すぐに試合開始の流れに。

東京ドームで感じたお祭り感のようなものは皆無で、ただただ入賞者と地区代表者を決めるための場という感じでした。

 

そんなわけで早速試合開始。

一次予選は東京ドームの時と同様、試合時間1時間。

受付時に大会用スターチップが3枚配布され、これを1試合につき最大2枚賭け、試合終了後にスターチップの所持数が多い順から特定の人数まで勝ち抜け。

ここでいう特定の人数は、東京ドームの時と同様に明確にはされていなかったので、勝ち抜けボーダー不明のまま試合に臨まなければいけませんでした。

 

試合開始と同時に緊張感も最高潮でしたが、とにかく思い切って行動しないと。

ということで事前に考えていた2つの作戦に沿って動くことに。

 

まず1つは、

「なるべく年下の小学生を狙う」

 

まあセコい。セコいけどそんなこと言ってられない。

小学生を狙う理由としては、そもそも自分と似たようなデッキ構成の人と当たりたくない、ということ。

オーソドックスなデッキ構成が相手なら負ける可能性は低いと思っていたし、お子ちゃまなら自分が辿り着いた勝ち筋のロジックに気づいてない可能性が高いと踏んでました。

何度も書くようですが我ながらセコい(笑)

 

そして2つ目は、

「スターチップは必ず毎回上限の2個賭ける」

 

中々にリスクを伴う戦法ですが、東京ドームでの経験上、制限時間の都合で2個ずつスターチップを増やしていかないと、例え全勝したとしてもそもそもボーダーに入らない可能性があるためです。

 

さらにこのデッキのメリットですが、勝とうが負けようが「試合内容は0か100か」みたいな極端な流れになるため、数ターンで決着がつき、制限時間内の対戦回数自体も増やすことができ、仮に2枚賭けで負けたとしてもリカバーのチャンスがある、ということに試合中に気付きました。

(実際にカードの引きが悪く、1体もモンスターを召喚できないまま負けてしまった試合がありましたが、あまり焦ることもなく直後の試合でリカバーできてました。)

 

その後負けることもあまりなくスターチップの数を着々と増やし、試合時間終了。

獲得したスターチップの数は忘れましたが、余裕を持って一次予選を勝ち抜けた記憶があります。

 

が、ここで大きな勘違いをしていたことが発覚。

地区大会では一次予選と最終予選があり、一次予選を勝ち抜ければ千年原人を獲得できると思い込んでました。

ですが実際は、一次予選勝ち抜け者で最終予選を行い、その中での上位数名が代表者・入賞者になるという流れでした。

(当時コナミから送られてきた資料を今見返すと、ちゃんとその旨が書いてありました(笑))

 

一次予選の勝ち抜けが決定し、ものすごく喜んだ次の瞬間には落胆するという悲劇…

と、そんなことも言ってられないので、とにかく最終予選を勝ち抜くためにデッキを組み直すことに。

 

最終予選はデッキキャパシティ700。

この追加されたコスト200でどのカードをデッキに組み込むか。

 

選択肢は2つありました。

・強力な除去魔法1枚追加+強力なモンスターカードを1枚追加

・強力なモンスターカードを3~4枚追加

 

強力な除去魔法は、DM2ではサンダーボルトがコスト255(最大)、ブラックホールやウイルスカード(死のデッキ破壊ウイルスがゲーム上ではこの名前でした)、タイプ別除去魔法がコスト150でした。

 

そもそもデッキのモンスター数が少ないので、手札に引いてこれる確率を少しでも上げるためにモンスターを複数投入するか…

それともピンチの際に場をリセットさせるコスト150の切り札を投入するか…

 

勝ち抜けた決闘者の顔色と雰囲気をよ~く伺いながら(笑)後者を選択しました。

結局勝ち抜けた決闘者は同じようなデッキ構成になるだろうなと踏んだからです。

 

デッキ組み換えの時間も終わり最終予選開始。

最終予選の試合時間は30分。

とにかく時間がないので、他の決闘者とスターチップの差をつけるためには一次予選同様2枚賭けして試合数をこなすしかない。

 

試合が始まってすぐ感じましたが、予想通り似たようなデッキ構成の決闘者ばかり。

一次予選のようには行かず、思ったより勝率も伸ばせないことに終始焦っていました。

実際に、スターチップ1枚賭けを望む相手はオーソドックスなデッキ構成、2枚賭けで挑んでくれる相手は私と同じようなデッキ構成の確率が高いと感じ、途中で1枚賭けを望む相手に絞って対戦を受ける作戦に変えようと思いましたが、結局最終的にスターチップ所持数が多い順に入賞することを考えると、リスクを背負って2枚賭けの相手と戦うしかないという結論に。

デッキ構成の方向性が合っていることが大前提、最終的には引きの強さに任せるしかない。

 

そんな中で最終予選用に投入したウイルスカードが活躍する機会が結構ありました。

あの時後者を選んで本当によかった。

 

結果、最終的なスターチップの所持枚数は9枚。

地区代表者にはなれませんでしたが、入賞者になることができました。

(ちなみにこの時のスターチップは今でも大事に持っています。本当は会場退場時に返却しなくてはいけなかったのですが、しれっと持って帰りました(笑))

 

そして一緒に参加したB君も無事入賞。

まさかのスターチップ所持枚数は10枚で、私より良い成績でした(笑)

 

余談ですが、この記事を書くにあたり当時の再試合案内の資料をとあるコレクター様からいただいたのですが、地区予選の案内は都道府県ごとに行われるためそれぞれ案内の内容が異なります。

が、まさかのいただいた資料がまさに私が参加した県のもので、会場近辺の地図にはもうすっかり昔に無くなった建物やお店が記載してあり、なんともエモい感覚になりました(笑)

 

で、その案内に書いてあった、私が参加した地区予選の代表者は2名、入賞者は9名。

晴れてこの9名の中に私とB君が入り、千年原人を獲得できました。

 

と千年原人が自力入手できたことに喜ぶところですが、当時の私は地区代表者になれなかった悔しさの方がとにかく大きかった。

 

大会終了後、B君の親御さんが迎えにきたため、別々に帰ることに。

親が運転する帰りの車の中で、もう少しのところでエビルナイトドラゴンが貰えなかったことに悔しすぎて泣いたこと、そしてその時の外の景色を今でもはっきりと覚えています。

中学生にもなって恥ずかしい話ですが(笑)

 

 

さて。

かなり長くなりましたが、私が体験したDM2大会の想い出は以上となります。

今回も記憶をそのまま書いたので、余計な脚色は無いかと思いますが、記憶違いがもしあったらごめんなさい。

 

後日談として、大会の翌日、B君との大反省会が行われました(笑)

そこで気づいた最強デッキの構築の話も書こうと思いましたが、この記事が既にあまりにも長くなってしまっているので、大会考察記事として近々別で投稿しようと思います。

 

 

数週間後、入賞商品の千年原人が郵送で送られてきました。

この時、カードが白封筒に入っていたか、等は全く覚えていません。

入っていたとしても現在所持していないので、捨てちゃったのかな…

 

その日のうちにB君に渡しに行って、改めて2人で喜びを噛み締めながら鑑賞会をし、このカードを持っていることはお互い絶対に秘密にしようということになりました。

(当時のカードを取り巻く治安を考えると当然のことでした(笑))

 

そして中学卒業時、遊戯王のコレクションを卒業することにしたB君。

それまで集めていたカードを1000円で買い取ってくれないかと提案され、快諾。

その中には千年原人もありました。

 

ということで、私の手元にやってきた千年原人、もとい千円原人。

今も仲良く2人の原人が私の元にいます。

 

 

最後になりますが、物凄い長文をここまで読んでくださった方がいらっしゃれば、本当に嬉しいです。

心からありがとうございます。

 

上にも少し書いた通り、大会考察の記事は別で書き始めているので、次回更新がまた1年後とならないように、なるべく早めに投稿したいと思います(笑)

 

 

それでは。

前回の投稿から早1年以上が経過してしまいました

最近は例の感染症もあって仕事は完全在宅勤務になり、カードショップどころか秋葉原にも行けない状況が続いています。

早く色々と落ち着くといいですね

 

 

さて、今回はいつか書こう書こうと思っていたDM2東京ドーム大会に参加した時のお話。

少しずつ書いていたのですが、気付いたら年が明け、気付いたら夏になってました。

だったらいっそと思い、東京ドーム大会からちょうど22年経った今日に投稿しようかと。

残っている記憶を極力そのまま、うろ覚えな部分はなるべく避けてここに遺そうと思います。

 

少し話は逸れますが、数年前にコレクターに復帰して驚いたことの一つに、このイベントがある意味で伝説化していたこと。

まあ当時の出来事を思い返せば当然なのかもしれませんが、ここ数年で初期カードがますます注目され、恐怖すら感じるような高騰が起こっている中で、このイベントの情報そのものについても注目度が高まっているように思います。

 

まず前提として、私はDM2部門の約12000人のうちの1人であり、東京ドームでは初戦で惜しくもなく敗退した参加者です(笑)

あくまでもその視点で、あの時経験したことを記したいと思います。

 

余談ですが、中学一年生だった(歳がバレますね)当時はペガサス編のクライマックスが連載されていた辺りだったこともあり、遊戯王人気は私の周りも本当に凄まじく、普段あまりゲームをしない部活に夢中な友人も含めて、クラスの大半の男子がDM2を発売日に買っていました。

発売日翌日は同梱カードで何が当たったかの話題でクラス中が持ちきり。

記憶では当たり枠だと死のデッキ破壊ウイルスが出た!というクラスメイトが1人いただけでした。

しかも彼は普段あまり遊戯王に興味が無く、話題に乗るために買っただけという

所謂物欲センサーというやつですね(笑)

 

そんな人気だったDM2も、東京ドーム大会に参加応募したのは周りで知る限りで私だけでした。

DM2部門とOCG部門の両方に応募しましたが、結果OCG部門は落選。

当時の応募要項はよく読んだはずでしたが、どちらの部門で当選したとしても王国セットが貰えると勘違いしていたので、届いた招待状に王国セットが入っていなかった時のショックは忘れられませんね(笑)

ちなみに私は一人っ子なのですが、少しでも当選確率を上げようと架空の弟を作り出し応募、結果あっさりと2人分当選。

DM2部門は参加者12000人と言われていますが、OCG部門は参加者がはっきりと明言されていなかったはずなんですよね。

やはりOCG部門出場権利は狭き門だったのか、それとも両部門の応募はそもそも弾かれていたのか

 

 

大会当日。

出場権が2人分あったので、当時めちゃめちゃ仲が良かったわけではないけど、私と同じくらい遊戯王に熱量があった友人Aを誘って参加した私。

保護者同伴が必要だったので私は父と、友人Aは少し歳の離れた兄と参加しました。

地方から電車で参加したので、都内に近づくと明らかに「あいつ、決闘者だな」みたいな子供が増えていったのを覚えています。

 

東京ドームに着いたら招待状に書かれたゲートに並ぶことに。

ここで最初の事件?が。

 

私たちの列の前に割り込んで入ってきた男子2人組がいたのですが、すでにトライホーンドラゴンを手に持っていました。

『?!』となった私と友人Aは割り込まれたことなどもはや忘れ、その前の男子の話を注意して聞いていると、どうやら今は再入場で並んでいる様子でした。

当日トライホーンドラゴンは大会参加者に入場時、つまりドームのゲートから中に入る時に配られました。

イメージ的にはよくライブ等で会場に入るときにチラシを配られるような感じだったかと思います。

前に並んでいた男子はどうも、入場後に「保護者と逸れた」みたいな適当な理由で一旦退場し、再入場時にまたトライホーンを貰う、を何度か繰り返しているようでした。

1つのゲートに入場列が複数あったので再入場する度に並ぶ列を変えていたのでしょうね。

時代もあると思いますがセキュリティがガバガバ(笑)

当然再入場禁止ですが、当時は参加者の照合などされるわけもなかったですからね。

これを知った私たちも再入場作戦を決行し、私は2枚、友人Aは3枚トライホーンドラゴンを入手したことをここに正直に書いておきます(笑)

 

ドーム内に入ると確か保護者席が用意されていて、そこで父と別れグラウンドに移動。

別れる際にありったけのお年玉やお小遣いの小銭をぱんっぱんに入れた財布を父に渡し、これで買えるだけプレミアムパック買ってきて!!とお願いして、ありえない程大勢の決闘者が待つグラウンドへの階段を降りていくあの瞬間は本っ当にドキドキしました。

 

大会は一次予選がDC500戦。

スターチップ3枚(だったかな?)所持でスタートし、一度のデュエルに最大2枚まで賭けられるルール。

制限時間は確か1時間で、終了後に所持するスターチップが多い順に一次予選勝ち抜けだったかと思います。

 

グラウンドに降りてからドキドキしっぱなしで、いよいよ大会が始まりイベンターが登場、ルールの説明後、心の準備もできないままデュエルスタート。

対戦相手を選ぶ余裕もなく、隣にいた初対面の決闘者と流れでデュエルすることに。

あの時の高揚感は人生の中でも中々味わえないものだったと今でも思います。

 

私は結果としてスターチップを全て失い敗退。

全試合1枚ずつスターチップを賭け、全5戦して負負→負だったかな。

最後の5戦目は特に印象に残っていて、対戦相手がブルーアイズを序盤で召喚し、なんでこんなコスト高いモンスターをデッキに入れてるの??とか、初手で切り札を引いたのか!とか、頭の中がぐるぐるしながら自分の敗退確定を受け入れなければいけない状況に、本当にその場で泣きそうになるほど絶望しました。

ただこの最終戦、この相手に当たって本当に良かったと感謝するのは、また後のお話

 

一次予選勝ち抜け条件のスターチップ下限枚数は覚えていませんが、今思えば仮に全勝していたとしても1枚賭けだと勝ち抜けられなかったと思います。

何戦目か忘れましたが、デュエルを申し込まれた相手から2枚賭けを提案された時にチキった私は激しく拒否しデュエル不成立になりました。

ただ冷静に考えると、12000人から500人に絞られる状況では、2枚賭けで勝ち続けないと勝ち抜けは難しかったでしょうね。

勝ち抜けは司会者が「スターチップ〇〇枚持ってる人!」と呼びかけ該当者が挙手か起立して係員が確認、最初が15枚からだったかな?で、1枚ずつ枚数を減らして規定人数に達したら勝ち抜け終了、みたいな流れだったと思います。

まあ書いていて思いましたが、よく12000人いる中でそんなアナログな集計をしていたな、と思いますが(笑)

 

敗退が決まり保護者席に戻ると、大会途中でバラバラになった友人Aは既に戻ってきていました。

私と同じくあっけなく敗退していたみたい。

戻った時には父と友人Aの兄は不在で、後の楽しみはプレミアムパックとゲートガーディアン、ブラックカオスだけだな〜と思いながら2人を待っていましたが中々戻ってきませんでした。

勿論、例の事件(笑)が発生して、やっと父と友人Aの兄が戻ってきた時には疲れと怒りで待ってたこちらも意味不明な状況に

普段温厚な父もこの時は怒っていたので、現場に並んでいた人は余程の対応をされたんでしょうね。

 

その後イベントが中断し、保護者席でどのくらい待たされたか記憶が定かではないですが、イベント中止のアナウンスがあり、混沌とした場内と、このままさっさと帰っていいのか?待ってた方が販売再開されるのでは?という疑心から動くに動けず、結局電車の時間もあるので諦めて外が暗くなる頃現地から退散、という当日の流れでした。

当然、帰宅時に配布予定だったゲートガーディアンとブラックカオスも配布中止となり、大会参加者はトライホーンドラゴンだけを手に入れ、観覧者は何もカードを得られず帰宅、という結果になりましたね。

 

帰宅時に印象的だったのは、今でこそ高価なトライホーンドラゴンが現場にぽつぽつと捨てられていたこと。

友人Aもイベント中止への怒りから、海馬がじいちゃんのブルーアイズを破るかの如くトライホーンを1枚ビリビリグシャグシャにしてました。

まああの時点ではゲームオリジナルで思い入れのないぽっと出のドラゴンよりも、原作でペガサス戦フィニッシャーのブラックカオスと、究極竜に次ぐ攻守を持ったゲートガーディアンの方が何倍も魅力的で、それらのカードが今後配布されるかどうかも全てが不明な状況だったので、破りたくなる気持ちもわからなくはないのですが

私はもったいないなぁ〜と思いつつ自分の分を大事に持って帰りました(笑)

 

 

さて、その後ですが、ご存知の通り再試合と、イベントに参加した証明品(案内チラシの大会アイコン部分の切り抜きだったかな?)を送付するとブラックカオスとゲートガーディアンが郵送される、+プレミアムパック通信販売の案内がありました。

 

 

の写真は今日から2年前にTwitterに投稿した写真ですが、ここに載せているカードは全て所謂ワンオーナー品です。

というのも、コナミに資料を送付する際に、チラシを1枚しか手元に残していなかったのですが、またまた架空の兄弟を10人程作り上げ、「観覧に家族全員で行ったけどチラシは捨ててしまった。人数分証明するものはないけど1枚のチラシと、兄(私)が大会に参加したので現地にいたと判断してもらえないだろうか」という旨の手紙を父が達筆で書き同封したのです。

どこぞのビッグダディだと突っ込みたくなるような家族構成ですが、余程現地での対応の酷さを根に持っていたのか

父曰く、一部は本当で全てが嘘ではないのだから、ダメ元で書いてみた、みたいなことを言ってました。そこから先の判断はコナミ側に任せると。

結果、写真の通りしっかりと架空の人数分が届いたというわけです。

大人って汚いですよね(笑)

 

あと、ご存知の方も多いかと思いますが、再試合案内の手紙と一緒にトライホーンドラゴンが送付されてきました。

上にも書きましたが、大会参加者はゲート入場時にトライホーンを受け取っているので、何故二重に配布したのかコナミの意図はわかりません。

ただ、ということは、トライホーンドラゴンの配布枚数は参加者12000×2回=約24000枚ということになりそうですね。

当然、ドーム当日不参加者も一定数いたと思うので、数に前後はありそうですが。

(というか、OCG部門ってトライホーンやら原人やらって配布されたんですかね?

決勝以外は地方予選で行われたので、配布されたか不明なんですよね。)

 

 

さて

気付いたら随分長文になってしまいました。

結構記憶をそのまま記述したので内容に誤りはほぼ無いかと思いますが、もしあったらごめんなさい。

再試合で千年原人を手に入れた話については、後編として改めてまたいつか投稿したいと思います。

相変わらず遅筆なので、またいつになるやらという感じですが(笑)

記憶がしっかり残ってるうちに書き上げたいものですね

まあマイペースに書こうかと。

 

それでは。

気付けば前回の投稿から半年以上経っていました。。。

 

最近はコロナの影響で一部在宅勤務になり、以前に比べるとカードショップからも随分足が遠のいています。

たまに地元のカドショに行くこともありますが、その度に、日常的に秋葉原のカドショを巡れるって凄く贅沢なことだったんだなあ、と思い知らされますね。

 

さて。

少しまとまった時間が取れたので、今回も自分の備忘メモ的な意味を込めつつ、久しぶりにのんびりと記事を書いてみたいと思います。

 

で、今回のお題は何にしようかと考えていたところ、

(前記事の終わりに「次は某カードイベントに参加した時のことを書こう」なんて書いた気もしますが。。。)

 

そういえばまとめておきたいと思っていたことがありました。

 

 

いきなりですが、昨年、国立図書館に何度か足を運びました。

 

目的は、20年前に読んだ気がするというだけの朧げな記憶を頼りに、とある記事を探すこと。

もちろん、遊戯王に関する記事です。(笑)

 

結局、それなりの時間を掛けて探したのですが、目的の記事は見つからず。。。

何日か有給使ってまで探したのに・・・と愚痴の一つでも言いたいところですが、それ以上にワクワクするいろんな再発見がありました。

 

なので、今回はOCG第1期頃の週刊少年ジャンプ、及びブイジャンプ各号に掲載されていた遊戯王記事を簡単にまとめておきたいと思います。

 

ちなみに、そもそもの目的だった記事の内容はというと、ある意味このブログを始める理由と言えるような、自分にとって大きな心残りのようなものなので、

それについてはいつか改めてまとめたいと思います。

 

 

では、以下に雑誌各号に遊戯王関連記事が掲載されたページと、個人的に気になったポイントを簡単にまとめます。

なお、上記でも書いたように、期間は「DM1発売〜OCG第1期終了あたり」の1999年〜2000年前半を対象として確認してみました。

 

--------------------

【週刊少年ジャンプ】

 

■1999年

 

01          なし

02-03     75〜,177〜

04-05     113〜,152〜

              ・バンダイ版ゲートガーディアン抽選7000名

06          3〜,112〜

              ・OCG試作品紹介(M&W表記ありパッケージ)

07          81〜,86〜,158〜

              ・DM1決勝観戦500名招待

08          123

09          3〜,87〜

10          なし

11          なし

12          81〜

              ・劇場版STARTER_BOX紹介

13          301

              ・(連載表紙ページにDM1大会のルール記載)

14          なし

15          3〜,123

              ・DM2情報初出

16          3〜

17          85〜

18          なし

19          157,159

              ・DM2体験会3000名募集

20          なし

21          88〜

              ・DM1決勝大会レポート(入賞者と賞品の写真あり)

22-23     123〜

              ・東京ドーム大会情報初出(参加募集人数記載なし)

24          135〜

              ・総動員数40000人規模記載(参加募集人数記載なし[以降同様])

              ・東京ドーム大会DM2部門ルールの概要紹介

25          82〜

26          103〜

              ・DM2同梱カード情報初出

              ・究極竜のOCGイラスト初出

              ・(ゲーム画面にて究極完全体のコスト65表記)

27          109〜,112〜,134〜

              ・東京ドーム大会賞品初出

28          98〜,120〜

29          78〜,186〜

              ・東京ドーム大会賞品紹介

30          80〜

              ・東京ドーム大会OCG部門ルール記載

31          127,150〜,195〜

32          3〜,125〜,148

              ・東京ドーム大会賞品紹介

33          244,247

34          266〜

35          10〜,40〜

36          95〜,118〜

37-38     102〜,202〜

              ・PP1情報初出

39          90〜,118

              ・東京ドーム大会ルール記載

              ・PP1販売情報初出

40          74〜

41          114,180〜

              ・東京ドーム大会謝罪文【以降何号かに渡って同文記載】

              ・PP1通信販売の案内(購入上限20パック)

42          10〜,40〜,84

              ・真DM情報初出

43          113〜

44          302

45          150

46          152,173

              ・真DM限定版情報初出

47          10〜,38

48          72〜,94

49          92〜,120

50          156

51          248

              ・初期サプライ商品紹介

52-53     172〜,192〜

              ・真DM同梱カード情報初出

 

■2000年

 

01          142〜

02          228

03-04     234〜

              ・中国語版ブラマジ抽選1000名

05-06     130,200

07          150

08          162

09          87,112

10          81,228

11          79,246

12          116〜

13          135,272

 

 

【ブイジャンプ】

 

■1999年

 

01          46〜,142〜

              ・バンダイ版光の護封剣&特製ケース抽選500名

              ・DM1大会について以下の文言の記載あり(詳細は不明)

                「一次予選 優勝者は二次予選の出場権と

                  この大会だけでもらえるレアカードをゲット」

                「二次予選 優勝者と準優勝者はここでもレアカードをゲット」

02          袋とじ,34〜,141〜,147

              ・バンダイ版ゲートガーディアン抽選7000名

03          袋とじ,22〜,121〜,143〜

              ・DM1決勝観戦500名招待

              ・OCG UR/SR/R出現率記載

                 (UR:5%、SR:8%、R:12%)

04          袋とじ,17〜,143

              ・DM1大会予選店舗のレポート

                 (レポート写真の後方にSTARTER_BOXのポスターあり)

05          袋とじ,17〜,175

              ・DM2情報初出

              ・DM1決勝大会レポート(入賞者と賞品の写真あり)

06          袋とじ,17〜

07          袋とじ,17〜

              ・東京ドーム大会情報初出(参加募集人数記載なし)

              ・Vジャンプフェスティバル’99抽選招待の案内

                 東京会場 7/30 1000組2000名

                 大阪会場 8/3 500組1000名

                 合計3000名

08          袋とじ,17〜

              ・Aセット/Bセットの抽選各50名

              ・東京ドーム大会賞品初出

              ・DM2体験会レポート

              ・Vジャンプフェスティバル’99抽選招待の案内(7月号と同内容)

09          袋とじ,17〜

              ・東京ドーム大会賞品紹介(盾の写真あり)

10          袋とじ,26〜

11          袋とじ,26〜,121〜

              ・東京ドーム大会謝罪文掲載

12          袋とじ,28

 

■2000年

 

01          袋とじ,31〜

02          袋とじ,44〜

03          袋とじ,38〜

              ・DM2/OCG決勝大会レポート(入賞者と賞品の写真あり)

                 開催直前に全戦DC500戦でのルール変更があった旨記載あり

              ・OCG第2回大会応募

--------------------

 

長くなりましたが、簡単にまとめると以上になります。

 

当時両雑誌とも買っていましたが、この頃の遊戯王人気は本当に凄く、週刊少年ジャンプでは「遊戯王国」というコーナーがあったり、ブイジャンプは毎月のように袋とじやカラーで特集が組まれるなど、ある種遊戯王中心の雑誌構成だったように思えます。

 

こうして見てみると、数字や文言の記載に「?!」となる部分が所々ありますね。

今となっては真偽不明な部分もありますが、記事の内容が全て正しい、とは限らないようです。

とはいえ、当時はこのように記載されていた、というだけでも非常に興味深いですね。

 

余談ですが、上記メモには記述していませんが、当期間以降や、当期間内に発売された赤マル等の関連雑誌もいくつか見返して、個人的に面白い記事が多々ありました。

例えば、2000年20号の週刊少年ジャンプではOCG第2回大会の入賞者の顔写真が載っていて、確かにT2の各カードと似てる!!だったり、

ジャンプ増刊号では、藍眼抽選配布の流れとなったごんぶとり遊戯さんとクオルーン海馬さんの茶番劇(笑)等々。

特に現在でも注目度の高い初期の希少なカードの背景がわかる記事は、今読むと興奮度が半端ないですね。

 

さて。

今回はOCG第1期頃である1999年〜2000年前半当時の記事をまとめてみました。

最近は初期のカードが益々注目される一方、その背景にある当時の情報そのものについても注目度が上がっているような気がします。

当時遊戯王が大好きだったファンの1人として、私自身がリアルタイムで経験した、記憶に残っていることを、記録として少しでもこのブログに残せたらいいなと思いつつ、今回はこの辺で締めたいと思います。

 

次回も何か当事の思い出と情報を織り交ぜながら記事を書きたいなあ。

というか、記事のお題にしたいネタはたくさんあるのですが、如何せん遅筆なことこの上なく・・・。

まあ、これからも気が向いた時に、マイペースにゆっくり更新していこうと思います。

 

では。

いざ記事を更新しようと書き始めてみたはいいものの、文章をまとめるのって結構大変で。
頻繁にブログを更新されてる方ってすごいなあと思い知らされています。


さて。

初記事だしどんな内容で書こうかな〜と考えた結果、とりあえずまずは遊戯王コレクターとしての目標やらを掲げようと思う。
ちなみに、以下がツイッターに記載している紹介文。

『最初期〜2期後期(SC)あたりで離れ20周年を機に復帰したコレクター。一児の父。空白の18年間をマイペースに収集再開。最終目標は1期の(例の7枚以外)フルコンプ。』

「最終」と書くと少し大げさだけど、それでも雲の上のような果てしない目標であることに変わりはない。
が、この目標、そもそも自分の中で明確になっていないことがある。

【遊戯王OCG第1期の収集対象は全部で何枚あるのか。】

これを自分の中で正確に把握していないと、何をもってフルコンプと言えるのかわからない。
ので、いい機会だし調べてみた。


ところで。

【遊戯王OCG第1期の収集対象は全部で何枚あるのか。】と【遊戯王OCG第1期のカードは全部で何種類あるのか。】は似て非なるものだと考えている。
というのも、ここからはもう完全に個人の世界なのだが、きっとフルコンプ系のコレクターによっては収集対象の分母が大きく異なってくるのではないだろうか。

つまりは、全種類「プラスアルファ」の部分が、ある意味コレクターのこだわりの大小によって変わってくると思われる。

まあこれに関しては後述するとして、とりあえず第1期のカードが全部で何種類あるのかを調べてみた。


種類数カウントの前提として、以下を考慮する。
① Vol.シリーズ/BOOSTERシリーズ/EXで同名同レアリティのものが存在する場合、それぞれで別カード扱いとする。
② EXに同カードが複数枚収録されている場合、その内1枚のみを収集対象とする。

①に関しては同一のようにも思えるが、厳密には収録されるシリーズによって紙質、フォント、その他ものすごーい細かな違いがあったりするかも?なので別カード扱いと判断する。
まあこれに関しては上記の「プラスアルファ」までには至らない範囲かと。

②に関してはさすがに同カードと判断していいだろう、ということで・・・。


情報は遊戯王カードWikiを参考にしました。
あくまで個人メモレベルなので、記載する略称や数の根拠となる詳細は割愛します。

—————————
【Vol.シリーズ】

■Vol.1
全40種
UR 2種
SR 3種
R 5種
N 30種

■Vol.2
全40種
UR 2種
SR 3種
R 5種
N 30種

■Vol.3
全50種
SER 1種
UR 2種
SR 3種
R 5種
NR 1種
N 38種

■Vol.4
全50種
SER 1種
UR 3種
SR 3種
R 5種
N 38種

■Vol.5
全54種
UR/P 4種
UR 4種
SR 3種
R 5種
NR 1種
N 37種

■Vol.6
全54種
SER 2種
UR/P 2種
UR 4種
SR 3種
R 5種
NR 1種
N 37種

■Vol.7
全53種
SER 1種
UR/P 1種
UR 3種
SR 4種
R 5種
NR 1種
N 38種


【BOOSTERシリーズ】

■BOOSTER1
全40種
R 5種
N 35種

■BOOSTER2
全40種
R 5種
N 35種

■BOOSTER3
全40種
R 5種
N 35種

■BOOSTER4
全40種
R 5種
N 35種

■BOOSTER5
全40種
R 5種
N 35種

■BOOSTER6
全40種
R 5種
N 35種

■BOOSTER7
全40種
R 5種
N 35種


【構築済みデッキ】

■STARTER BOX
全50種
UR 2種
SR 3種
R 5種
N 40種

■EX
全85種
SER 2種
UR 2種
SR 2種
N 79種


【その他限定等】

■PP1
全10種

■PP2
全8種

■DCE
全16種

■LP1
計9種

■予約/特別版
計6種
・STARTER BOX劇場版 5種
・STARTER BOX予約限定 1種

■書籍付属
計6種
・右腕
・左腕
・黒魔術の儀式
・ウルシク炎の剣士
・スカルライダー
・スカルライダーの復活

■ゲーム付属
計15種
・DM2 10種
・真DM 5種

■イベント配布
計2種
・ウルシクマドール
・シクブル

■懸賞
計10種
・Aセット
・Bセット
・英ブル
・中ブル
・英ブラマジ
・中ブラマジ

■大会賞品系
計16種
・DM1大会 5種
・ステンレス
・カナン
・DM2/OCG大会 11種
・王国セット
・ゲートガーディアン
・ブラックカオス
・トライホーン
・千年原人
・エビルナイト
・ペガサス
・メテオブラック
・アルティメット

合計 854種
—————————

以上が【遊戯王OCG第1期のカードは全部で何種類あるのか。】の答えとなるだろう。


で、ここからは「プラスアルファ」について、改めて記載する。

前述したように、「プラスアルファ」についてはコレクターによって差があると考えている。
要は、同一カードでもエラーカードやその他販売時期による細かな違い等が存在し、それを別物としてカウントするかどうかは各々の判断によるからだ。


以下が私にとっての「プラスアルファ」要素だ。

③ 説明文のエラッタ:3枚
④ 一定数流通したエラー:3枚
⑤ スタジオダイス版:300枚
→ Vol.4〜7、EX、書籍付属

加えて、OCGそのものではなくても、それに関連し、かつ収集価値があると判断したものについても収集対象としている。

⑥ BOOSTERについてくるルールカード:42枚
→ 6種類 × BOOSTER1〜7
⑦ EXのメインデッキとサイドデッキの間に入ってる白い紙:1枚
合計 349枚


まあここらへんはコレクターにとってはある意味周知の内容かと思う。
そんな細かく区別しなくても・・・、と思う方が大半だと思われるが、気になりだすと気になっちゃうんだよね〜(笑)
⑤の書籍付属については、炎の剣士と黒魔術の儀式の2枚はどうにも見掛けないので、これを抜いた4枚が存在すると考えている。
⑥に関してはもはやOCGではなく「OCGのおまけカード」だし、⑦なんかただの白い紙だし(笑)

とはいえ、こういう細かいとこにこだわりを持ってコレクションを続けていると、その道中に感じる「縛り」というか「茨の道感」みたいなものが最高に楽しかったりするし、何より集めきった時に『納得』する。

・・・まあ、『納得』は何よりも優先すべきだって鉄球の人も言ってたし(笑)


そんなわけで、当初の調査目的である【遊戯王OCG第1期の収集対象は全部で何枚あるのか。】は、

854種類 + プラスアルファ349枚 − 上位入賞7種類 = 1196枚

となるようだ。


・・・。

やっと結論に辿り着いた(笑)

この記事を9月頃に書き始めて、

まあ無理のない程度に、数ヶ月に一回くらいでの更新を目標にしよう…

なんて思いながらチビチビ書いていたら年が明けてました。。。
ブログ開設してからすでに約半年経っているな(笑)


で、こうして収集対象が自分の中ではっきりしたけど、現時点での未所持を慌てて集めようなんて気はあまりなく、タイミングが合えばくらいの気持ちでいる。

とはいえ、気づけば新年明けているし、今年は少しでも目標に近づく年になればいいなあ。


今後も気になったことやまとめたいことを超不定期にゆる〜く更新したいと思います。

とりあえず次回は、先日参加したTCGイベントについて記事にしてみようかな。

では。

このブログは主に、遊戯王のコレクション紹介やこだわり、子供の頃の思い出話、その他個人的なメモや日常、たま~に遊戯王以外の内容で不定期更新しています。

 

当ブログで紹介するこだわりや価値観はあくまで個人的なものに過ぎず、強要や異なる価値観への否定といった意図はございません。

コンテンツへの楽しみ方は十人十色であり、その中の一人、価値観の一つとして紹介しています。

 

また、記載内容に虚偽を含む意思はありませんが、約20年前の記憶を元に記載している箇所も多々あるため、意図せずそうなってしまう可能性もあります。

記載する内容全てに責任を持てませんので、全てを鵜呑みにしないようお願いします。

 

最後に

遊戯王OCGを再び集め出してしばらく経ち、東京ドームから20年、そしてコレクターとして大きな転機となる出来事があったためブログを開設しました。

が、基本的には自分の好きなもの、好きなことをゆる~く、無理せずマイペースに、Twitterじゃ書ききれないことをだらだら語れれば、と思います。

 

大人の遊戯王