【複製】肉食べないんですか? ~命をいただくということ~ | [虹ぷしゅ]nijipushu nijipsych

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「瞳に涙がなければ魂に虹はかからない」ネイティブ・アメリカンの言葉
「ひとり、燈(ともしび)のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とすずぞ、こよなう慰むるわざなる」徒然草

2011年7月31日 ブログ

 

 

 

「肉食べないんですか?」

 

 

会食のおりに、めずらしそうに、聞かれることがある。

 

 

今、ぼくは、肉を食べない。でも昔からそうではなかった。

 

ぼくはなにを食べるべきか?

 

子どもの頃、考えた。

かしわ(鶏肉)や脂身、もも肉などなど肉が大・大・大好きだった。

 

小学生5年生の頃、ふと、肉はもう食べない、蚊も殺さないと母親に宣言した。

母親は心配して知り合いのキリスト教の伝道師に相談した。

 

「肉は食べていいんですよ、害虫も殺して構いません」

 

との返事を持って僕に伝えてくれた。

 

おさないぼくは、その答えにどこかもの足りなさと少しほっとした気持ちを感じながらも、

 

また大大大好きな肉を食べるようになって、蚊を殺すことについても問題意識をもつことがなくなった。

中学生、高校生、浪人時代と、‘肉食’について何度となく疑問に思い、その正否を考え、

ときに、しばらく控え、また、なんとなく食べるようになりを繰り返してきた。

 

 

いろいろ考えた。

 

仏教ではあらゆる命あるものの殺生を禁じている。

 

マハトマ・ガンジーもイギリス留学時代、肉食の禁を破って良心に苛まされた。

 

宮沢賢治は、いま食べようとしている魚が妹の生まれ変わりだったらと思うと食べれないと肉も魚も食べなかった。

 

旧約聖書には、牛肉はいいが豚肉は食ってはいけないとある。

 

また、復活したキリストは魚を焼いて弟子たちに食べるように与えた。

 

 

しかし、ノアの洪水以前は肉食はなく菜食のみだった。

 

さらに、菜食が許されたのもエデンの園追放後の人類に対してだった。
 

使徒ペテロは夢でさまざまな食材を見せられ食べよと命じられ、「汚れた物は食べれません」と答えたが、

さらに天から「神が清めた物を拒んではならない」と戒められ、異邦人への宣教と肉食の戒律の解除を勧めた。

 

財産を分与して地主を辞めたトルストイは、命あるものを食べないと決意し、肉、魚はもとより、葉野菜や穀物も命あるものとして食のリストから排除し、ついにミルクと果肉だけを食べて生活した。
 

結核を病み、己が命のはかなさを日に日に感じていた八木重吉は、ついにある日、

ひとすじの涙を流し、「もう、わたしは魚が食べられない」と、妻に謝って魚を食べなくなった。

 

肉は食べてはいけないのか?

 

魚だけならいいのか?

 

菜っぱやお米もいけないのか?

 

発育に肉は必要じゃないの?

 

 

最終的に、いまの食生活に定まった切っ掛けとなった言葉は、テレビで、回教徒の日本人の若者がインタビューに答えていた言葉だった。

 

インタビュアーが尋ねた。

 

「どうして肉を食べないんですか?」

 

彼は答えた

 

 

「自分で殺せない物は食べません」
 

 

 

この軸の最極を考えてみる。

 

肉料理を振る舞われて、これまで食べたことがないようなおいしい肉だったとする。

そして、食べ終わって、ホストから「それは人の頬の肉です」と種明かしされたとしたら、背筋がゾッとし、吐き気を催しするのではないだろうか。

 

たとえそれがこれまで味わったことがないようなとてもおいしい肉だったとしてももう一度食べたいと思う人はごくごくごく一部の偏狂者に限られるのではなかろうか。

 

 

日頃、かわいがって飼っているペットの犬や猫だったらどうだろうか?

 

厳然とした事実として、動物食の軸の先はカルバニズムに繋がっている。

 

前世紀以前の未開の部族において、凶作下・戦時下・遭難事故下など極限での飢餓状態においてその証拠をみることが出来る。

 

そちらに向かっていく軸の上で、菜食と魚食には大きな溝がある。

 

魚食と肉食にも、それよりは薄まっているが、やはり大きな溝がある。

 

 

私たち人間も、この魂を、けだものと共通したこの肉に宿してこの生を送る。

 

鯨や猿などより大脳皮質が発達し、思考や感情が人間に近い高等な動物の肉食となると、よりいっそうその溝が

薄くなっている。

もちろん、菜食・魚食と比較してのことだが。


 

ある小学校で、教壇で先生が、鶏を切り裂いて肉にするまでを生徒たちに実演してみせるという授業が行われてりうという。

 

賛否両論あがったらしいが、私個人としては、それはとしはもいかない子供たちにあんまり酷な体験だと思い反対する。

 

子供たちは、昆虫やペットの生き死にくらいから学んでいくのが自然にかなっていると思う。

 

肉を与える与えないの判断は、大人が代わりにしてあげてしかるべきだと思う。

 

 

しかし、大人になってまで、自分たちがどういうものを食べているかという、すこし、目を向ければ分かることに分からないふりをするのは、それはどうなのだろうか。

 

知らなかった、気付かなかったですませられるものなのだろうか。

 

 

NHK特集で四万十川で自然と共に暮らす老夫婦のドキュメンタリーがあった。

川で魚を捕り、畑で野菜を作り、山に罠を仕掛けて猪を捕って食べる生活。

罠に引っかかった猪をとる場面があった。もがく猪を打ち叩いて殺し、肉を裂いてみなで分け合って食べる。

 

それをみて、

 

「わぁー!残酷」

 

と非難の声を上げる人がいる。

 

でも、その人は普段好んで肉を食べている。

 

山で獣を捕らえ自分で肉に切り分けるその老人は獣たちの骨を祭って年ごとに拝んでいる。

人に屠殺させ、精肉させ、もとの牛の姿も豚の姿も連想させない出来上がった製品として、スーパーで買ってきて食べてる人とどちらが残酷なのか?

 

自分で殺して、その命の尊さ、その犠牲を知って、その上でその肉を頂いている人たちの方がより命への優しさと畏敬を持っていないか?

 

せめて、牛肉屋で牛がにっこりして客を招いている看板は取り下ろしてほしい。

 

屠殺業の人には、毎日仕事で牛を殺して精肉する作業をしているが、自分自身は牛肉を食べない、食べられない人がいると聞いた。

 

生きた姿から肉のかたまりになっていく過程を知っているだけに、その生々しさから食べられないのだという。


 

 

ぼくが肉を食べるということは、他の人に家畜を殺させているということだ。


 

自分では決して手を染めたくないその作業を。

 

だれかが、生活のためか、生まれた環境からか、あまり、自分から好んでは就かなさそうなその仕事に就かざるを得ないなんらかの理由から。

 

その事情をいいことに、肉を食べたいぼくが、いやなところをその人にさせておいて、自分はその現場には近寄らず、視野にはいることさえ嫌悪し、味覚の楽しみだけを追い求めている……



 

 

環境面での問題がある。

 

肉食をやめれば、飢餓がなくなる、あるいは、緩和される。

一頭の牛を育てるのに人20人分が食べる穀物が使われる。

 


 

健康面での食の問題がある。

 

家畜を狭いケージで飼育する際に感染を防ぐためにたくさんの抗生物質が投与されている。

 

また発育や乳の出を良くするためにホルモン剤も当然のこととして使われている。

 

そして、それらは肉を通して私たちの体内に入り、私たちは日々それらを通して耐性菌や環境ホルモンを体に取り込んでいる。肉食で結腸癌などの疾病が増えることも報告されている。

 

 

また、ホメオパシーで使うレメディは、動植鉱物を口から取り込むとき彼らの想念も取り込むという理論から成り立っている。

 

日本でのホメオパシー第一人者で、ホメオパシー大バッシングの矢面に立てられた由井寅子は、ケージで閉じこめられ、注射付けにされ、劣悪な環境で虐げられて飼育された家畜の肉や乳はとらないと言っていた。

それを口にする人間に、家畜たちの無念・痛み・搾取される悲しみが取り込まれるという。

 

たとえば、牛は自然に育てば十数年の寿命があるが、乳牛として飼われている牛は、自然に子牛に授乳するときの4倍の乳を搾り取られ、その寿命は4年に縮まるという。

 

 

今のことで言えば、放射能汚染牛について、牛肉を止め切れない人にとっては、生活をおびやかすほどの脅威であろう。

 

でも、肉にさほどとらわれていない人にとっては、しばらく牛肉を食べるのを控えておこうかなといった程度で、

 

前者の人ほどには大きな問題とならないだろう。

ふだんから肉を食べないものにとっては、ふだんからタバコを吸わない人がタバコ税の値上がりのニュースをきくくらいに、対岸の火事のような感覚であろう。

 

狂牛病しかり、口蹄疫しかり、家畜からの耐性菌問題しかりである。

 

 

いい物、必要な物が日々、新たに紹介され、紹介される。

 

「コーヒーに肝癌予防作用がある、亜硝酸塩の外を取り除く作用がある」

 

「ニンニクで疲労が回復する」

 

「豚肉でうつが良くなる」

 

「動物性のアミノ酸を摂ることで健康な身体と免疫力が維持される」

 

などなど。

 

 

 

しかし、魂への影響はどうか?

 

 

あきらかに魂をくもらせる食材がある。

もっと、外的なところでは経絡の気の流れにはどう作用するか?

 

わたしはいくら健康によいと昨今の研究で発表されても、これまでの栄養学で提唱されても、魂を曇らせる疑いのある物は食べたくない。まだ、まだ徹底しきれていないけれども。

いまだにその理由がわからないけれども、食べないようにと言われている食材がある。

 

なぜか分からないが私は食べない。

 

あとで必要があれば分かるだろう…

 

 

とりあえず、ここでは‘肉食’について調べた、あるいは考察した書籍で、わたしたちの食生活を見直すのに参考になる本をについてのアマゾンのレヴューの抜粋を紹介することにします。

 

 

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1.『豚は月夜に歌う―家畜の感情世界』(バジリコ)

ジェフリー・ムセイエフ マッソン (著),村田 綾子 (翻訳)

 

 食べる前に知ってください、愛すべき家畜と呼ばれる生き物のお話を。ベストセラー『ゾウがすすり泣くとき』の著者が、誰も目を向けなかった家畜に思いをはせた意欲作。
 ブタは満月にむけて歌い、ニワトリは優れたユーモアのセンスがあり、ヒツジは顔をいつまでも憶えている…。家畜たちは複雑な感情-愛情・友情・悲しみなど-をもっている。誰も目を向けてこなかった家畜の感情をテーマに描く。

 

 

 


2.『私の牛がハンバーガーになるまで ―― 牛肉と食文化をめぐる、ある真実の物語』

(日本教文社 )ピーター ローベンハイム (著), 石井 礼子 (翻訳)

 

 アメリカ人は年間50億個以上のハンバーガーを食べ、一時間に5000頭以上の牛が肉にされている。「牛はどうやってハンバーガーになるのか」その現実のすがたを本に書こうと、一人のジャーナリストが自ら子牛を買い、誕生から解体までの現場を追いはじめる。しかしいつの間にか、彼は子牛たちに愛情を覚えてしまっていた…。牛たちにとって、「肉」になる以外の道はあるのか?そして彼の最後の決断とは?読者に「生き物を食べること」とは何かを問いかける、一人の男と二頭の牛たちの「最終目的地」への旅。
 一人のジャーナリストが自ら子牛を買い、誕生から解体までの現場を追い始めるが…。牛が肉になるまでの現実の姿を描き出し、「生き物を食べること」とは何かを問いかける、一人の男と二頭の牛たちの「最終目的地」への旅。

 

 

 

 


3.『いのちの食べかた (よりみちパン!セ) 』(理論社)森 達也(著)

 

 屠殺(とさつ)と聞いてすぐにわかる人が少なくなった。 本書は、東京芝浦にある屠殺場のルポルタージュであると当時に、 それを通じて、私たちが「解体された肉」を買っていることの意味と重みを 伝えてくれる。
 私たちが快適な生活を追及する裏では、おびただしい数の動物たちが犠牲となっている。私たちが自分の専門とすることについて、自分が関心を向けることについてどれだけ詳細な知識を持とうと、皆に共通する毎日毎時の営みである「食」について、その現実の姿をこの目で捉えられることは現代の都市ではほとんど無いといっていい。そうして私たちは自分の存在の根っこを見失っていく。
 一匹の牛や豚が、流れ作業のように殺されて解体されてバラバラになり やがてそれらがスーパーにパック売りされる。 その解体作業を行なってきたのは、被差別部落の人たちだ。そのことについても触れており、私たちが「いのち」を食べなければ生きていけない存在であること、 その意味の奥深さを痛感させてくれる。ブタが笑いながら丼をすすっているラーメン屋に何の疑問も持たずに入店してしまうグロテスクさに立ち止まることができるのではないだろうか。
 中学生向けぐらいに書かれているが、世代を問わずお薦めしたい本。

 

 

 

 

 

 

4.『まだ、肉を食べているのですか
     ―あなたの「健康」と「地球環境」の未来を救う唯一の方法』
(三交社)ハワード・F. ライマン (著), グレン マーザー (著),船瀬 俊介 (翻訳)

 

 「だれもができる“地球の救済”法」を提案し、ジェレミー・リフキンなど全米を代表する環境問題のオピニオンリーダーたちが、こぞって絶賛した待望の書―ついに日本に登場。牧場主からベジタリアンに転身した“マッド・カウボーイ”が、現代の化学・工場型農業の袋小路を自らの体験から痛烈に分析・批判し、「新しい生命の世界」への展望を語る。そして、狂牛病(BSE)などからアメリカのダイエット事情まで、豊富なデータが物語る牧畜・肉食の現状は、必ずや“あなた”に次の一歩を踏み出させることだろう。

 

 

 

 

5.『 新版 ぼくが肉を食べないわけ』(築地書館)
ピーター コックス (著), , 浦和 かおる (翻訳)

 

 肉食がひきおこすさまざまな病気や肉食についての医学的な最新データをもりこんだ全面改訂版。10年ぶりに待望の刊行。狂牛病、屠殺の現状などについても解説し、肉を省いた料理が健康をもたらすしくみや、ベジタリアン料理の調理法を具体的に紹介する。〈ソフトカバー〉手軽でおいしいレシピ付き。

 

 

 

 

6.『豚トントンの一生 ―生まれて、育って、そして食べられるまで 』(海苑社)
本山 ちさと (著)

 

「いただきます」の意味。「ごちそうさま」の意味。「食」と「命」のつながりを親子で考える物語。
 肉豚トントンが独自のスタイルで、農場での誕生から屠畜場へ送られるまでの一生を回顧する。豚の生活、養豚場の実際、豚との関わりを面白く紹介。豚肉はどこから来るのか。「食」と「命」のつながりを親子で考える物語。