疼痛性障害は明らかに大脳の病気である、あるいは、細胞一つ一つが覚えている | [虹ぷしゅ]nijipushu nijipsych

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「瞳に涙がなければ魂に虹はかからない」ネイティブ・アメリカンの言葉
「ひとり、燈(ともしび)のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とすずぞ、こよなう慰むるわざなる」徒然草

 

ホメオパシーの由井寅子さんが紹介していたケースで、昔、兄と母から暴力を繰り返し受けて、何度も骨折させられてきたクライエントにレメディーを処方したら、当時、毎日のように殴られ、蹴られしていても、全然痣にならなかったのに、体中に痣が現れ、当時、平気だった痛みが、今になって痛み始めたというのがありました。

 

「過去の傷や痛みは細胞が覚えている」

 

と。

 

 

 

また、コウノメソッドの河野和彦先生が紹介していた症例では、以前に本ブログでも詳解したものですが、43歳で線維筋痛症を発症し、10年間治らなかった53歳の女性が5日で完治したというものがありました。

「‥結局、抑肝散は効いたので10日でやめても再発せず、3回目の外来では保健薬はなにもいらないとのことだった。
話をまとめると何をしてもよくならなかった線維性筋痛症が、

  サインバルタ 10mg、
  抑肝散1日量 1包、
  グルタチオン1400mg、シチコリン250mg、ビタミンC2000mg 1回

だけで、5日以内に完治したのである。
結局、誤った腦からのシグナルを補正してしまったということであろう。

線維性筋痛症はあきらかに大脳の病気である。」

 

線維筋痛症は、誤った脳からのシグナルで引き起こされる大脳の病気であると。

 

その前の、昔に受けた打撲が、何年も後に浮上してくる、という現象を

 

「細胞がその痛手を覚えている」

 

と表現されていますが、細胞は3年すれば、皮膚から骨に至るまですべて総替えになってしまいますので、もしかしたら、そこにも大脳が関与しているのかもしれませんし、あるいは、両方を説明する別の言い方として、その人の体のエネルギーフィールドとしてのその部分にメモライズされているからかもしれません。そのどちらであったとしても、線維筋痛症に著効を示した上記処方は、過去の身体外傷が蘇ってきた痛みにも効果が見られるかもしれません。

 

薬物療法についてはそうですが、そのような痛みから解き放たれるスクリプトを聖書から探していました。よろしければ、ぼーっとしながら、親しい人にゆっくりと読んでもらってください。

 

 

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ネブカデネザル王は金の像を造った。その高さは六十キュビト、その幅は六キュビトであった。彼はこれをバビロン州のドラの平野に立てた。そして、ネブカデネザル王は人を遣わして、太守、長官、総督、参議官、財務官、司法官、保安官、および諸州のすべての高官を召集し、ネブカデネザル王が立てた像の奉献式に出席させることにした。

そこで太守、長官、総督、参議官、財務官、司法官、保安官、および諸州のすべての高官は、ネブカデネザル王が立てた像の奉献式に集まり、ネブカデネザルが立てた像の前に立った。

伝令官は大声で叫んだ。

 

「諸民、諸国、諸国語の者たちよ。あなたがたにこう命じられている。

あなたがたが角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞くときは、ひれ伏して、ネブカデネザル王が立てた金の像を拝め。

ひれ伏して拝まない者はだれでも、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。」

 

それで、民がみな、角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、および、もろもろの楽器の音を聞いたとき、諸民、諸国、諸国語の者たちは、ひれ伏して、ネブカデネザル王が立てた金の像を拝んだ。

 

こういうことがあったその時、あるカルデヤ人たちが進み出て、ユダヤ人たちを訴えた。彼らはネブカデネザル王に告げて言った。

 

「王よ。永遠に生きられますように。

王よ。あなたは、『角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞く者は、すべてひれ伏して金の像を拝め。ひれ伏して拝まない者はだれでも、火の燃える炉の中へ投げ込め。』と命令されました。

ここに、あなたが任命してバビロン州の事務をつかさどらせたユダヤ人シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴがおります。王よ。この者たちはあなたを無視して、あなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝みもいたしません。」

 

そこでネブカデネザルは怒りたけり、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを連れて来いと命じた。それでこの人たちは王の前に連れて来られた。ネブカデネザルは彼らに言った。

 

「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ。あなたがたは私の神々に仕えず、また私が立てた金の像を拝みもしないというが、ほんとうか。

もしあなたがたが、角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞くときに、ひれ伏して、私が造った像を拝むなら、それでよし。しかし、もし拝まないなら、あなたがたはただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。どの神が、私の手からあなたがたを救い出せよう。」

 

シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。

 

「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。

しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」

 

すると、ネブカデネザルは怒りに満ち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴに対する顔つきが変わった。彼は炉を普通より七倍熱くせよと命じた。また彼の軍隊の中の力強い者たちに、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを縛って、火の燃える炉に投げ込めと命じた。

そこで、この人たちは、上着や下着やかぶり物の衣服を着たまま縛られて、火の燃える炉の中に投げ込まれた。王の命令がきびしく、炉がはなはだ熱かったので、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを連れて来た者たちは、その火炎に焼き殺された。

シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの三人は、縛られたままで、火の燃える炉の中に落ち込んだ。

そのとき、ネブカデネザル王は驚き、急いで立ち上がり、その顧問たちに尋ねて言った。

 

「私たちは三人の者を縛って火の中に投げ込んだのではなかったか。」

 

彼らは王に答えて言った。

 

「王さま。そのとおりでございます。」

 

すると王は言った。

 

「だが、私には、火の中をなわを解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」

 

それから、ネブカデネザルは火の燃える炉の口に近づいて言った。

 

「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ。いと高き神のしもべたち。すぐ出て来なさい。」

 

そこで、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは火の中から出て来た。太守、長官、総督、王の顧問たちが集まり、この人たちを見たが、火は彼らのからだにはききめがなく、その頭の毛も焦げず、上着も以前と変わらず、火のにおいもしなかった。

ネブカデネザルは言った。

 

「ほむべきかな、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神。神は御使いを送って、王の命令にそむき、自分たちのからだを差し出しても、神に信頼し、自分たちの神のほかはどんな神にも仕えず、また拝まないこのしもべたちを救われた。それゆえ、私は命令する。諸民、諸国、諸国語の者のうち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神を侮る者はだれでも、その手足は切り離され、その家をごみの山とさせる。このように救い出すことのできる神は、ほかにないからだ。」

それから王は、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴをバビロン州で栄えさせた。

ダニエル書3章

 

 

「ダニエル書 火の中」の画像検索結果

 

 

彼は私を神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、宮の右側の下から流れていた。ついで、彼は私を北の門から連れ出し、外を回らせ、東向きの外の門に行かせた。見ると、水は右側から流れ出ていた。

その人は手に測りなわを持って東へ出て行き、一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、それは足首まであった。

 

 

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彼がさらに一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、水はひざに達した。彼がさらに一千キュビトを測り、私を渡らせると、水は腰に達した。

彼がさらに一千キュビトを測ると、渡ることのできない川となった。水かさは増し、泳げるほどの水となり、渡ることのできない川となった。

 

 

「エゼキエル書47章 」の画像検索結果

 

 

彼は私に、「人の子よ。あなたはこれを見たか。」と言って、私を川の岸に沿って連れ帰った。

私が帰って来て見ると、川の両岸に非常に多くの木があった。

 

「エゼキエル書47章 水」の画像検索結果

 

彼は私に言った。

 

「この水は東の地域に流れ、アラバに下り、海にはいる。海に注ぎ込むとそこの水は良くなる。この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水がはいると、そこの水が良くなるからである。この川がはいる所では、すべてのものが生きる。

漁師たちはそのほとりに住みつき、エン・ゲディからエン・エグライムまで網を引く場所となる。そこの魚は大海の魚のように種類も数も非常に多くなる。

しかし、その沢と沼とはその水が良くならないで、塩のままで残る。

川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。

エゼキエル書47章

 

 

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