絶対者の善意という前提無しにどうして大多数の人は無頓着に生きておれるのか‥ | [虹ぷしゅ]nijipushu nijipsych

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「瞳に涙がなければ魂に虹はかからない」ネイティブ・アメリカンの言葉
「ひとり、燈(ともしび)のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とすずぞ、こよなう慰むるわざなる」徒然草

絶対もうしないといっていたのに約束を破ってしました。 

もう、先生の診療は受けられないのでしょうか?

 

 

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普段から「絶対はない」と言う人間は、最初からその後起こることをすべて赦して付き合っています。 だから、誰の決意も約束も信じませんが、誰のスリップも咎めません。 人間は皆弱くして憐れな存在なのです。

絶対者の善意という前提無しにどうして大多数の人は無関心で生きておれるのか、私はそれが不思議でならないのです。

 

 私たちは同じ時空に生きていても心はそれぞれの内に形成された別々の世界に住んでいます。生きている間だけ、この内界、真の意味での自分の住む世界を変えていくことができます。 償うのも、病気を治すのも、人格を更生するのも生きている間だけ、することができます。そして、それに向かって生きようとするベクトル、方向性こそが、私たちの来世を決定づけるのです。 

 

あなたは、打ち寄せるうつや虚無、苦痛、自責に翻弄されながらも、こうして「生きる」を固持してくれました。このあとも、生きるのです。  

 

 

わたしに来るものを私は決して捨てません。 

私の目にあなたは高価で尊い。 

私はあなたを愛している。 

私の愛に居なさい。