人は人に対して2通りの作用しかしないといいます。 | [虹ぷしゅ]nijipushu nijipsych

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「瞳に涙がなければ魂に虹はかからない」ネイティブ・アメリカンの言葉
「ひとり、燈(ともしび)のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とすずぞ、こよなう慰むるわざなる」徒然草

アティテューディナル・ヒーリングというセラピーに出会って、そこでとても役立つ、人の見方をいただきました。

人は人に対して2通りの作用しかしない。

ひとつは “愛をそそぐ作用”
もう一つは ”助けを求める作用”

それが愛を注ぐ行為でないのであれば、それは、相手がどんなに偉そうにしていようが、堂々として見えようが、それは“助けを求めている”のであると。

 

 

 

 

 

 

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たとえば、上司が部下を感情的になって大声でしかりつけている図。周りの見方も、言われて縮こまっている部下も、怒鳴り続けている上司自身も、「上司」が優位にあり、強い存在として目に映るでしょうが、その実情は、それは部下への愛情からの叱責ではないわけですから、自分の怒りをやりくりできずにコントロールを失った上司が

「この怒りをどうにかしてくれ!」

と自分より未熟なはずの部下に助けを求めている姿に他ならないのです。

インターネットの無記名性は、人のうちにある悪魔性を、その人自身が野放しにしてしまい、リアルでは決してしないであろう非人非な言葉で相手を痛めつけます。でも

 

 

”天網恢恢(カイカイ)疎(ソ)にして漏らさず”
(↑このおまじないも効きます)


だれにも知られない、誰が自分を罰することが出来ようかとタカを括っているのでしょうが、そのまき散らした悪意の総べ括りは、後に必ず、その人が刈り取らねばなりません。そして、いまこの時には攻撃している相手以上に、その人自身の魂を傷つけています。そして、そのささくれだった心は無垢なるもの、純なるものを目にするとそれを傷つき汚さずにおれないのです。
それは、無垢の塊であるイエス様を前にして、偽善で「蝮の末」にまで自身の魂を汚しつくしたパリサイ人や長老たちが、イエス様を、十戒に反しようが、人道に反しようが、偽りの裁判をでっち上げてでもいたぶり、亡き者にせずにおれなかったように。

そのような攻撃を受けるとき、あなたはイエスさまの受難のいくばくかに預かっているのです─主の恵み─ 十字架の下に主の慰めがあります。


私は、あるとき、自分の心という大地がズタズタにされ、その裂け目だらけの大地に、まさに、その裂け目を通して、深淵から湧き出で地表を癒していく麗しい気流が、滾々とあふれていく様子が観えました。そうして、実際、わたしの何重にも傷つけられた心の地表は、得もいえぬ麗しいもので満たされていったのでした。不思議ですね、その癒しのエーテルは、人が裂いてくれたその傷痕からもたらされるのでした。

「われは幼子」という聖歌をご存知ですか?



聖歌490番(新聖歌312番) 



「主は捨てたまわじ」という聖歌ご存知ですか?『聖歌』をほとんど一人で編じた中田羽後先生が、世間から村八分にされ、キリスト教会からも排斥された孤立な境遇にあった時に作られた歌だそうです。こちらはYouTube には載っていませんでしたが、歌詞とMIDIがあります。
 「聖歌」の一番下、612番です。

 

 

 

 

 

聖歌 612番・新聖歌 205番 [主は捨て給わじ]

♪ 救い主イエスは わが友なり
  われに託(かこ)つこと 何もあらじ
  主はわがすべての すべてなれば
  世の富誉(とみほまれ)を など慕うべき
    (*託つ‥心が満たされず不平を言う)
  
  主は捨て給わじ 主に行く身を
  主は捨て給わじ 主を慕う身を
  主は誓いませり み弟子たちに
  「汝を捨て去りて 孤児とせじ」と

  
  親に捨てらるる ことありとも
  血を分けし者の 忘るるとも
  われに慕わしき イエス君あり
  
  主は常にわれを 顧み給う
  主は捨て給わじ 主に行く身を
  主は捨て給わじ 主を慕う身を
  主は誓いませり み弟子たちに
  「汝を捨て去りて 孤児とせじ」と ♪

 


そして、有名なマザーテレサの愛唱していた詩からです↓

 

 

 

 

 

 

 

『それでも』


人々は、理性を失い、非論理的で自己中心的です。
それでも彼らを愛しなさい。

もし、いいことをすれば、
人々は自分勝手だとか、何か隠された動機があるはずだ、
と非難します。
それでもいい行いをしなさい。

もし、あなたが成功すれば、
不実な友と、ほんとうの敵を得てしまうことでしょう。
それでも成功しなさい。

あなたがした、善い行いは、おそらく明日には忘れられます。
それでも善い行いをしなさい。

あなたの誠実さと親しみやすさとは、あなたに傷を与えるでしょう。
それでも誠実で親しみやすくありなさい。

あなたが歳月を費やして完成させた物が、
一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。
それでも完成させなさい。

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを
受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい

あなたの中の最良のものを、世に与えなさい
けり返されるかもしれません
でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい

最後に振り返ると、あなたにもわかるはず
結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです

あなたと他の人の間であったことは
一度もなかったのです

 


   


でも、わたしは自分の中のとても大切にしているものを人から汚されたくありませんし、人に汚させたくもありません。
「彼らは自分が何をしているのかわからずにいるのです」から。
これについては、できるだけ主の「犬に聖なるものを与えるな、豚に真珠を与えるな」という勧めを受け入れたいと願います。心の奥にあるやわらかな部分・信仰の奥深いところをアメ限で発信するのにはそんな気持ちもあります。

どうぞ、心に麗しいものが溢れてくるまで祈り続けてくださいね。何日でも。一度、体験すると味を占めて、またそれを想って、主イエス様への慕わしい思いと祈りの楽しみが強まっていきます。

 

 

 

 

「私のために人々から悪しざまに言われるとき、
あなたは幸いです。
喜び喜びなさい。
天におけるあなたの報いは計り知れません。
世に現れた神の言葉を預かった者たちも例外なく、
そのような中を通されました。