こんにちは。ざまっちんです。

 

 

私は、1999年に初めてパニック発作を起こし

25年間パニック障害と共に歩んできました。

 

このブログでは、

私の経験やこれまでの経緯を

綴っていきたいと思います。

 

セラピストりいこちゃんとの交換日記形式でお送りします。

 

前回のブログはこちら

 

 

 

りいこ:前回のざまっちんのストーリーを読んで、パニック障害がどれだけ大変なものなのか、初めて理解できたように思います。前回、「考え方も何も変わらないまま薬を減らした」と書いてらっしゃいましたが、パニック障害は「考え方」を変えるのが重要なのでしょうか?考え方を変えるために、何かざまっちんがしたことはありますか?

 

心療内科も変えたりしてみましたが、薬をもらうだけに行く感じでした。診察だけでは、何も変わらず、何かしなくては変わらないと思い、カウンセリングを受ける事にしました。

 

心療内科の診察とカウンセリングを受けたり、以前、大学でカウンセリングを受けたことがあったので、大学内にあるカウンセリング研究所にまだ大学のゼミの先生がカウンセラーとしていらしたので、カウンセリングを受ける事にしました。

 

病院のカウンセリングでは、パニックが起きたときに、起きたときに感じたことを、別の視点から見て記録するようになり、パニックが起きて最悪の状態になることをすぐ考えてしまうけれども、違う視点でそれが起きても大丈夫なことが少し感じられるようになったと思います。

 

診察はほんの5分くらいなので、満足感はいつも得られず、薬をもらいに行くだけ?という感じがいつもしていました。カウンセリングを受けて、女性のカウンセラーの方が穏やかな雰囲気で寄り添ってくれる感じでした。初めて、本当に気持ちに寄り添ってくれる感じを受けていたのですが、その方が転勤になり、なんとなく受けることもなくなっていきました。

 

大学のカウンセリング研究所では、私が大学の時に受けたゼミの先生だったので、安心感はありました。大学の心理学の授業は、夢分析とかもあり、面白くて大好きな先生でした。年賀状を出すと、夏ぐらいにメッセージを書いてくれたハガキが届きました。その先生のカウンセリングを時々受け、自分は愛されたいということ、大事にされたいという思いがあることに気づきました。

 

 

今、書いていて気づいたのは、相手に愛情を求めていたんだと思います。「頑張らないと愛されない」「人のために何かをすることが良いことだ」自分を犠牲にしても人を優先する」などなど、刷り込まれた価値観で自分を大切にできていなかったと思います。

 

先生とのカウンセリングでは、その価値観を改めて、本当にそうなのか?考えてみるきっかけになりました。

 

どんな自分でもよいこと、何もできない自分でもよいこと、先生自身もぐーたらなことを話してくれて気持ちも安らいでいったと思います。自分をだめだと傷つけて、自分を痛めつけることばかりをしていたので、鬱やパニック障害になるのは、当たり前のように今は思います。

 

先生とのカウンセリングで、少しずつ自分を受け入れて、ありのままの自分でいいんだと思えるようになっていったと思います。先生がカウンセリングをそろそろ終わりにしようと言って、カウンセリングは終了になりました。パニック障害である自分を受け入れて、薬も減らすのを止め、きちんと飲み、徐々に以前のような生活ができるようになってきました。

 

何が良かったのか?パニック障害を持っている自分を受け入れて、治そうとすることを諦めて、そのときの自分を受け入れて、それでもいいやと思えたりしたことがよかったのかと思います。自分を大事にすること、ありのままの今の自分でよいことを思い始めていったのかと思います。