本日の言霊 2025.10.07
禅僧の枡野俊明氏は、著書『感情に振りまわされない―禅の教え42 気にしないコツ』の中で、自己肯定感を上げるためにはチャンスをしっかりと掴んで結果を出すことが大切だが、そのためには「因縁」を結ぶことが大切だと説いている。なぜなら、禅が重んじているのは、「運」ではなく「縁」だからだ。
暑い夏には暖を取るための火を熾す炉は必要ないし、寒い冬には暑さをしのぐための扇子は必要ない。だが、時間が経ち季節が変われば、冬には炉が、夏には扇子が欠かせないものになる。これは、「時期が過ぎれば、物事の重要度が変わる」ことを示している。仕事で成果を出せない人、求めるポジションに就いていない人は、単に「まだその時期が訪れていないだけ」にすぎないということだ。
自分だけ取り残されている気持ちになる必要なんかない。劣等感や自信のなさは、自己肯定感の低さからくるもので、仕事で成果を上げていなかったり、自分のポジションが明確でなかったりすると勝手に不安に感じてしまうが、多様化している今の社会では、新しい業務や業態に取り組むことが珍しくない。つまり、新しい環境で、今まで発揮できなかった自分の能力が開花し、必要不可欠な人材になる可能性も高いということだ。
プロ野球ではこの時期、トレードや戦力外通告が話題となる。だが、ベンチを温めていた選手がトレードでほか球団に移ると、主力選手として活躍するようになるケースがある。そうした選手に共通しているのは、立ち位置がない間も腐らず、嘆かず、自分にできる努力を続けたことだ。自分に能力がないと諦めて、練習を怠けているようでは、自分の立ち位置をたしかなものにする時機など永遠にやってこない。
表舞台に出ない間に実力を磨き、機会をじっと待つことを「雌伏」(しふく)という。なにより大切なのがこの姿勢で、苦しい時期を乗り越えた人は、それ自体が大きな財産となり、他人の悲しみや苦しみを理解し、自然と寄り添えるようになる。だが、順風満帆で何も苦しんだことがない人には、他人の悲しみを理解することはできない。
悲しみや苦しみを体感することで、他人の心情を理解し、その心に寄り添う力が養われれる。人の悲しみに寄り添えることは、見えない痛みにも手を差し伸べられる優しさの証だ。人は、苦しみや悲しみをくぐり抜けることで、一皮も二皮もむけて成長し、その成長した人間にのみやってくるチャンスがある。
「任運自在」(にんうんじざい)という言葉は、人生には自分の能力や努力ではどうにもできない巡り合わせがあり、「運」に任せて、思慮分別などしないほうがいいという意味だ。運とは、自分の努力や能力だけではどうにもならない、外側からもたらされるものだ。たとえ仕事で成果を出しても、それが評価や出世につながるかどうかは、運に左右されることが少なくない。
禅が重んじているのは、「運」ではなく「縁」だというのは、「縁」=チャンスは自分でつかむべきものだとするからだ。難しい仕事のオファーがあったとき、それに果敢に挑戦する人もいれば、尻込みしてしまう人もいるが、両者を分けるのは「準備」の差である。禅の教えでは、「因」を整えておけば、縁をつかみ、「因縁」を結ぶことができるとされ、逆に、準備が不十分なままでは、せっかくの縁が巡ってきても、それを活かせず、因縁は結べないとする。
これは、人生のさまざまな場面にあてはまる真理だ。チャンスをつかめば、また新たなチャンスにつながる。挑戦すれば、出会いや可能性が生まれ、新たな人生の扉が開かれていくが、逆に、1度逃したチャンスは2度と戻らないし、次にいつ巡ってくるかもわからない。チャンスはどこにでもあるが、それをつかむためには、まず自分の力をしっかりとつけておく必要がある。運命の岐路に立ったとき、準備が整っていれば、迷わず前に進める。チャンスの一瞬をつかめるかどうかは、普段の積み重ねにかかっている。