本日の言霊 2024.10.22

 

 

  キリスト教では、イエスが奇跡を起こしたから信徒になるのでは、真の信仰とは言えないと考える。逆に真の信仰がある場所にこそ奇跡が現れるのである。つまり、「奇跡は起こる」という揺るがない信仰を持ち続けた者にだけ奇跡が起きるということだ。こうした目に見えない事柄を信仰の対象にするとことにキリスト教の特徴がある。

 

 だが、実際のキリスト教徒は「形あるもの」に囚われてしまう。十字架、教会、イエスやマリアの像、ロザリオ、 神父、牧師など、目に見える存在を信仰の対象としてしまうのだ。これは本来やってはならない「偶像崇拝」となる。ここに人間の心の弱さが表出する。

 

 さらに、いくら毎日聖書を読み込もうが、自分の宗派の教えや自説に固執してしまい、他の解釈を排斥するような人間は、信仰を持っているとはいえない。自分の知性・知識に対する偶像崇拝を行っていることになるからだ。これこそが人間の「奢り」なのである。

 

 日本人は心眼を大切にする。心眼とは心の目によって目に見えない真実を確かめる力のことである。 目や耳などの感覚器で知覚することが出来ない情報を経験と想像力で推論することによって見えない物の具体的な形質や挙動を把握すること、また科学的な推論に基づいて見えない物の本質を理解する能力のことである。目に見えない物事を信じられるかどうか。そこにこそ奥義が隠されているのである。