老けない最強食?

 

 

 『週刊文春』のムック本である『老けない最強食』を読み直している。筆者も60代に手がかかった年齢にきている。若い頃の暴飲暴食を続けられるような年齢ではないことはとっくに承知はしているし、きっと体の中は「ドロドロ血」が流れている(笑)。が、子供の頃からの習性というのはなかなか直せるものではない。特に「食生活」というのは、ほとんど幼少の頃に母親が作って食べていたもので決まってしまう。

 

 その意味では筆者の場合は昭和4年生まれの母親が肉好きであまり魚を食べない人だったためか、今でも「魚か肉か」の選択を迫られると必ず「肉」となってしまう(笑)。「三つ子の魂百まで」とは恐ろしい習慣である。だが、筆者の幼少期には工場排水が飲んだ魚が次々に死ぬ姿を見たり、水俣病になった患者さんの悲惨な様子などを目にしていたため、どうも魚に対する潜在的な恐怖があるようだ。

 

水俣病の患者

 

 水俣病はメチル水銀化合物に汚染された魚介類を長期間たくさん食べることによって起きる中毒性の神経系疾患だ。 発生源は水俣市近郊の化学工場で、工場排水に含まれていたメチル水銀が海や川に流れ出し魚などに蓄積し、それを食べた人間は毒物が血液により脳に運ばれ、やがて人体に著しい障害を与えた昭和の大事件だ。 メチル水銀は毒性が強く、歯医者で使っていた銀も同様に、銀歯だらけの人間は脳が侵されて死亡することが多かった。

 

 また、筆者が生まれる前には日本中を震撼させた「森永ヒ素ミルク中毒事件」も起きている。1955年6月頃から主に西日本を中心として起きた、ヒ素の混入した森永乳業製の粉ミルクを飲用した乳幼児に、多数の死者・ヒ素中毒患者を出した毒物混入事件である。この事件があったため、筆者の母親は絶対に粉ミルクを信じることがなかったため。筆者も兄弟もみな母乳で育てられた。ちなみにこの森永創業家と関係が深いのが安倍晋三の奥さんの安倍昭恵さんの生家である。

 

森永ヒ素ミルク事件訴訟の争点

 

 昭和50年代以降は、こうしたヤバい毒物は食品の中から排除されていったが、平成の後半以降、アメリカの圧力に屈した在日自民党政治家たちによって、今度はアメリカ産の危険な食べ物が次々と、それも世間の目を欺く形で混入され続けている。一番はやはり「遺伝子組換えではない」と表記された「遺伝子組み換え素材」で製造された品々だろう。キッ●ーマンやヤ●サに代表される、モンサントの遺伝子組換え遺伝子の大豆で作られた醤油などの調味料である。

 

 日本人は広島と長崎の原爆投下実験に始まり、戦後は一貫してアメリカの人体実験場となってきた。食べ物を筆頭に、子宮頸がんにするための「子宮頸がんワクチン」、3.11の原子炉溶解後の放射能を浴びた子供の変異やその後5年以内に生まれた子供のデータはみなアメリカが押収していってしまっている。もちろん化粧品やシャンプーなどもそうだ。そこにコロナ禍から始まったコオロギ(=ゴキブリ)食や昆虫食といったmRNAワクチンフードも登場。いったい何を食べ、何を使えばアメリカに殺されないのかと考えながら行きなければならないという非常に面倒くさい状況が続いている。

 

食べたら終わりのZIPAIR Tokyoのコオロギ機内食

 

 答えは非常に簡単で、昔ながらの「日本食」を食べよ、ということだ。なんだかんだと言っても、どこにヤバい「遺伝子組み換え食材」が使われているのか、「殺人コオロギパウダー」が入っているのかもはや見分けがつかなくなる状況に到達しつつある。ならば、せめて体内から毒素を排出しやすい食品を食べた方がいいということなのだ。玄米食べてワカメや豆腐が入った味噌汁を飲んだほうがいい。但し、豆腐も味噌汁も「大豆」のため、ここだけはケチらずに無農薬・無添加のものを選んで食べた方がいい。そうしないと味噌汁もアウトとなるからで、さらに最近は頻繁にケムトレイル攻撃でmRNAパウダーを空からも降らしている。

 

 もはや逃げ隠れできる状況ではない。大和民族は追い詰められているのだ。もはや地球に残された時間は10年以内だ。「老けない最強食」とか「美容にいい食事」とか言ってる場合ではないかもしれない(笑)。