「私が森に入った理由は、意識をもって生きたいと思ったからだ。人生の本質のみと対峙し、その本質が教えるものを自分が学べないか、確かめてみたかった。いよいよ死ぬというとき、自分は生きていなかったと実感したくなかった」

 (ヘンリー・デイヴィッド・ソロー)

 

 「孤独」こそが人生を教えてくれるという名言だ。孤独が人生を教えてくれることを学ぶためにソローは森に入ったのである。

 

 現在の私たちには「孤独」が必要だ。孤独と向き合えないと、結局は周囲の人からの煩わしい出来事に「反応」するだけで、どんどん時間が過ぎてしまい、結局、自分とは何ものなのか、何をしたい人間なのかを真剣に考えることをしなくなる。近くに森がなくても「孤独」と向き合う時間は取った方がいい。リフレッシュできる森の方がベターだが。

 

 本格的な森に入ると「時間の感覚」や「方向感覚」すら失うことがある。そうした空間に佇んでいると、自分の内なる声が聞こえてくることがある。自分の心を定めて、何か創造的なことに取り組むことにチャレンジしたいと望むのなら、外界を遮断しなければダメだ。どうも都会に住んでいると「雑音」が多すぎる。

 

 静寂の中で「何も考えない」時間を持つと、何かが降りて来ることがある。色々と考え事をしたり、TVを見たり音楽を聴くこともストップして、もちろんスマホもオフにして、なるべく静寂な空間で過ごした方がいい。できれば毎日20分くらいは確保したい。1時間という人もいるが、なかなか1時間を確保するのは難しい。無理しても続かない。

 

 2023年の今、日本は激動の中にいる。もはや「いい国ニッポン」に戻ることはない。ネガティブな思考は良くないが、ポジティブになれる要素は何ひとつもない。ワクチンを接種している人は特に「孤独」になることが大切だ。人生の残り時間が分からないからだ。よって、ソローのように「自分が生きていなかったと実感したくない」のならば、余計に静寂の時間が必要だと思う。

 

 ワクチンを接種してないからと言って、生き残れるかどうかなんて分からない。いつ中国から原爆が降ってくるか分からないし、いつ巨大な人工地震を起こされるかも分からない。たとえ地震や原爆で生き残ったにせよ、食料の問題や水の枯渇問題、電気やエネルギー不足、略奪や狂った人間によって殺される可能性だった高い。もはや誰もがいつ「死」に直面するか分からないのだ。

 

 ソローは1845年に、思索と執筆のための静寂を求めて池を囲む森に居を移している。まだ19世紀だが、それでも都会生活がもたらす喧騒や煩わしさを嫌って、森に向かった。そんな余裕のある生活は望めないかもしれないが、このまま時代に流されるように、ただ日々を淡々と過ごしているだけでは、死んだ後に後悔するに違いない。「最後にあれだけはやっておけば良かった」と。

 

 そんな風にはなりたくない。だから教から20分、「静寂」の中に身を置いてみよう。