「実は自分のほうが間違っているんじゃないか?」と振り返る冷静さは持っておきたいものです。「自分が正しい」「相手が間違っている」という思い込みが強い人は、無意識のうちに周囲に毒を吐きまくるなど、本人の言動で自分自身を不幸に追いやっていることが少なくないからです。


 午堂登紀雄(『人生は「あきらめる」ほうがうまくいく!」』)




 SNSでいろんなことを発信していると、たまに難癖をつけてくる人やしつこい絡み、ディスりに遭うことがある。各種のSNSを使用しているが、特にTwitterで難癖をつけられることが多い。

 アメブロでは「上から」のご意見をいただくことはあるが、難癖をつけられたことはない。多分、オヤジのジャンルだからなのか、穏やかなユーザーが多いのか、理由は定かではない。


 僕の発信に対してどんな感想を抱こうが個人の自由だし、ネットを使って発信している以上、難癖をつけられることを恐れていては何も発信することはできないと思っている。

 逆に「なんでこの人はいちいち難癖をつけるような人格が形成されてしまったんだろう?」「どういう生き方をしたらこういう残念な生態にたどり着いてしまうのか?」と疑問を感じることの方が多い。


 そもそも、見知らぬ相手を誹謗中傷したり口撃したりしても、果たしてその人の人生が好転するのだろうか?

 相手を言い負かしたりやり込めるのを生業とする弁護士や検事などの職業病みたいな方々を除いて、なんでそんなに他人を口撃して楽しいのだろうか?と考えてしまう。


 橋下さんやら枝野さんのような弁護士出身の政治家は、常に与党や主流派を口撃したり揚げ足取りをするのが商売だからまぁ良しとしよう。

 だが、毎日ネットで見ず知らずの他人を匿名で攻撃して喜んでるいる輩は「いったい何のために?」「なんでそんなに暇なの?」と疑問を感じざるを得ない。


 口撃に対して口撃で返してしまうと、感情的になってしまうと相手の思うツボだ。だから相手の挑発には乗らず、「冷静さ」を保つことが肝心だ。相手がなんでそういう言動をもたらす人格に至ったのか、成立基盤や現在の生活背景に問題があるのではないかと想像することが役に立つ。


 口撃やマウント癖のある人は、実生活の中で満たされない承認欲求が常に表出する。そして問題は彼らが「自分は絶対に間違っていない」と考えてしまうことだ。 

 自分は正しい、自分のほうが頭がいい、自分のほうが知識がある、間違っているのは相手のほうだという「固定観念」に支配されてしまっているために、恒に口撃の相手を探してしまうのだ。


 「相手が悪い」「周囲が悪い」「会社が悪い」「国が悪い」「社会が悪い」となってしまうのだ。まぁ実際にこの国の政府とメディアは極悪非道だから、しっかりとした批判は必要だけどね(笑)。

 だがこういう考え方に囚われていると、余計に満たされない人生のまま何も変わらない。何があっても自分の考え方を曲げない、意固地になって生きているが故に、自分を振り返ることができず、人生の起動修正もできない。 

 だからこそこういう人たちのほとんどは「自分がやってることは人生の発展に寄与するのだろうか?」という疑問すら持つことなく、一生を終えていく。


 こんなイタい人生は嫌だ。そんな人生にしないためにも「もしかしたら自分の考えが間違っているのではないか?」と振り返る冷静さを失わないことが大切だ、と午堂氏も本書で指摘している。

 相手に巻き込まれるように冷静さを保つ上でも、いかに「相手の気持ちを想像できるか」。その心の余裕が発信する側が持てないと、結局は両者が口撃し合う始末に終えない状況に陥ってしまうと思う。