「発想を変えて、思い切って跳びなさいと言われたら、みんな前に跳ぶことしか考えない。前に跳ぶのは誰にもできることで、横に跳ぶことが必要なのだ」
竹内久美子(動物行動学者)
萩本欽一の話ではない(笑)。
この言葉は『最短で一流になる!ドラッカー思考』(一条真也)という本の中で、イノベーションについて書かれていた項で紹介されている言葉なのだが、なるほどこの発想法自体がまさに”発想の転換”というやつだと思えた。恐れ入る!
長年同じ業界で仕事をしていると、「発想を変えねば…」と思いつつもどうもありきたり感を拭えないアイデアばかりを発想してしまう。
それはこれまでの延長線上の発想でしかなく、アイデアが「跳ぶ」ことではない。だからそんな「ありきたり」で「想像の範囲内」な企画を提案しても、相手には全然刺さらない(泣)。
残念ながら当然の結果だ。
アイデアの源というのは、往々にして自分が過去に読んだ本や雑誌、新聞、ネット、TVなどで得た情報であったりする。
たまに電車の中吊りとか街頭広告などもあるが、そうしたアイデアというのは「既に形になっている」もので、新しさなんて感じられない。
だが、街で見かけた変なものとか、隣の席で会話している女子たちのトークとか、本屋で普段は行かないコーナーなどでは、全くこれまでの自分の知識体系とは関係ない斬新な情報が飛び込んでくることがある。
こういった脳に刺激を与えてくれるモノ、情報にこそアイデアのヒントがあったりすることが多い。
そう、まさに「横に跳ぶ」ことで新たな発想の源が生まれるのだ。
自分が提案される側に立つとよく分かる。
だいたい1年に3回くらいの割で、超つまらない企画の提案を上受けることがある(笑)。
提案していただく相手には大変申し訳ないのでが、「いったいその提案のどこが面白いの?」と感じてしまうと、僕の顔はほとんど無表情になるらしい(笑)。
自分で鏡を見ているわけではないのでよく分からないのだが、「ワクワク」「ウキウキ」な気持ちにしてくれそうなアイデアが入ってなかったり、「すげー!」と思えるような企画でないと、完全に死人のような無反応モードに入ってしまうらしい。
「刺激がない」
もうこの一言に尽きるのだ。
50代半ばになるとかなり色んな経験をしてしまっているので、なかなか新たな刺激を得ることは少なくなってくるし、同じような世界で35年も仕事をしていると、ほぼアイデアは出尽くしてしまっている感も否めない。
TVのお笑い番組やバラエティ番組がいい例だが、現在のバラエティ番組の雛形は、ほぼ80年代に出尽くしてしまっている。
だから番組の先を見ずとも、ほぼ先が予想できてしまうので見ていてもつまらないというか新たな刺激はない。
最近はTVはほとんど見ないのだが、数少ないレギュラー視聴番組のひとつに『町中華で飲ろうぜ』というBS-TBSの番組がある。
これがなかなか面白い。
メインキャストの玉袋筋太郎の他に、二人の女の子があちこちの町中華をアポ無し取材をするのだが、「えぇ、こんな注文ありなんだ」という斬新な注文の仕方をしたりする。
自分一人で町の中華屋に行くと、どうも注文のパターンが決まっているのを認識する。
「餃子とラーメン」とか「回鍋肉とチャーハン」とか(笑)、もう完全に思考停止状態な自分だということが分かってしまう。
だが、この番組ではスナックで鍛えられた玉ちゃんが、店に入った瞬間に親父さんや常連さんにかける声からして違う!
さすが一流のお笑い芸人!「つかみはオッケー!」なのだ。
さらに二軒目の店に入ると「いきなりそんなものから注文しちゃうの?」といった料理をたのんでしまったりする。
まぁきっと1軒目でお腹は張ったりしているからなのだろうが、締めは常連のさんのオススメにしたがって「べちゃべちゃ半チャーハン」とかを頼んだりする(笑)。
「チャーハンってパラパラじゃなかったっけ?」と思いつつ、もうその発想自体が固定観念だという風に思えてくるのだ。
同じエリアの中華料理屋を一晩ではしごしてしまうという発想自体がむちゃくちゃなのだが、その当たりが地上波でやってるB級お笑い芸人が高級料理を堪能して「外はかりかり中はふわふわ」などと予定調和なコメントをいう番組と異なって面白いのだ。
コロナで自宅にいる時間が長くなってなかったら、こんな番組にも出会えていないから、この辺だけはコロナウィルスに感謝しないといけないと思う(笑)。
だが、逆にコロナのせいで最近はすべて以前に放送されたものの再放送か再編集が続いているので少々悲しいのだが……。
コロナ自粛も解除され始めた。
さぁ町に繰り出して、自分の発想をぶち壊すような町中華の探検に出る時がやってきた!