「我が画法の発達せしは、実に春好が我をはづかしめたるに基せり」  
 
葛飾北斎

 
◆SEX好きと勘違い
 
江戸時代の名浮世絵師、葛飾北斎の言葉だが、実は僕はこの言葉の意味を長いこと勘違いしていた。
「春」=「春画」=「SEX」、つまり「春好」というのは「SEXが好きだ」と勘違いしていたのだ(爆)。
 
よくよく考えれば当代一の名浮世絵師が、「私はSEXをして辱め受けるのが好きだったから、絵を描くのがうまくなったのだ」なんて言葉を残すはずがないのだが、勝手にそんな意味だとばかり思っていた。北斎先生ごめんなさい!

でも、もしかすると本当はSEX好きだったのかもしれない(笑)。
 
 
人間のイメージが創り出す勝手な誤解とは困ったものだ。
TV東京の時代劇なんかで浮世絵師が描かれると、キセルを口にくわえた裸の女性を模写する浮世絵師、なんてシーンが出てくるし、週刊ポストに紹介される春画もそんなものが多い。
要はそれだけ知らないうちにメディアに洗脳されているということで、僕が悪いわけではないのだ(笑)。
 
 
本日の言葉の超訳はこうだ。

「私の画法がうまくなったきっかけは、(兄弟子の)春好から自分の描いた作品を徹底的に馬鹿にされるという辱めを受けたからだ」
 
ということだ。
知らなかった・・・・。恥ずかし~い。
 
浮世絵師の勝川春章のもとで修行中だった若き北斎が、紙問屋からの注文で看板を描いて見せたのだが、それを見た春好という兄弟子が「こんなもの描いては師匠の恥さらしだ」と言って、彼の書いた看板を木端微塵にしてしまった。作品をめちゃくちゃにされた北斎は怒りに震え、その兄弟子を見返すために絵の修業に励んだ。後にこの出来事を振り返って、北斎が語ったのがこの言葉の意味だったのだ。
 

◆「印象派」の本当の意味とは?
 
思えば北斎の代表作は「富嶽三十六景」で、様々な角度から見た各地の富士山を描いて、ヨーロッパの画壇にも大きな影響を与え、「印象派」の画家たちを生み出した。
ちなみにモネやマネに代表される西洋の「印象派」、この「印象派」というのは福沢諭吉が勝手に訳した言葉であって、本来は「ヤパン・インプレッション」。

ヤパン、つまり「日本」。
だから「日本浮世絵派」とか「日本版画派」と訳すのが正しいのだ!
 
 
これまた知らなかった。
書籍もTVも新聞も、みんな「印象派」というから、モネの睡蓮に代表される淡い感じの絵画を描くひとたちのことだとばかり思っていたのだが、違うのだ。「日本の浮世絵の印象に影響受けた画家たちです」ということなのだ。
 
これは凄い話だ。
江戸時代に既に日本は世界レベルのアーティストたちがいっぱいいた、ということだ。
 

◆屈辱にめげない「負けじ魂」が必要だ
 
そんな世界に影響を与えた北斎の浮世絵も、この馬鹿な兄弟子「春好」から受けた「屈辱」が出発点だったのだ。
屈辱を受けて奮起する。そしてどんどん実力をつけて行き、兄弟子を超えて、当代一流のアーティストになっていったという話なのだ。だから、日本人は北斎に屈辱を与えた兄弟子の春好に感謝しなければいけない(笑)。

この屈辱がなかったら、北斎は奮起しなかったのかもしれないし、その北斎が創り出した浮世絵ワールドがその後にヨーロッパの画家たちに影響を与えることもなかったのかもしれないのだから。
 
屈辱を受けても負けない心をもてるかどうか。叩きつぶされそうになっても立ち上がる勇気をもてるかどうか。一流になるにはそうした「負けじ魂」が必要だ。

◆自分の受けた屈辱

皆さん、人生の中で自分の作ったもの、考えたものを徹底的に卑下されるような「屈辱」を味わったことがあるだろうか?
僕は人生の中で、何度か北斎のような「屈辱」を味わったことがある。

むかし広告・宣伝が仕事のメインだった時期に、さる大手広告代理店のプランナーへさる分野の展示会の企画を提案した時だった。その会社の中では上司からも怖れられている存在で、社内外からも「とても怖い」という評判だったそのプランナーの方にこう言われた。

「なに、これ?」

そして、彼は僕が持っていった企画書の端っこを指でつまんで、ゆっく~りと企画書を床に落としてこう言った。

「なんの中身もないじゃん。これでお金とれると思ってるわけ?」

がーん!心の中が凍りついた。そして何も言い返せなかった・・・・

確かにその企画書の中身は薄かった。中身を考えてくれたのは、”展示会のプロ”を自認するさる広告制作プロダクションが作ってくれたのだが、提案日当日に受け取ったその内容は本当に薄くて内心は「これがプロの仕事かよ・・・」と思ったのだが、時間がなかったため、そのまま提案してしまったのが運の尽きだったのだ。

われながら「こんなレベルのものを提案してしまった」と恥ずかしかった。そして、とても悔しかった。
だが、この経験がなかったら、きっと今も「低いレベル」のやっつけ仕事をして満足してしまう生活を送っていたのかもしれない。
クリエイティビティを追求しようとする姿勢は生まれなかったかもしれない。その意味ではこのプランナーの方に今でも感謝している。
ちなみにこのプランナーの方は、そののちJリーグの創設に関わることになった方だ。



◆江戸時代から100年先を歩いていた日本の文化
 
現在も日本の漫画やアニメが世界を席巻しているし、世界を席巻する商品のほとんどは、日本の技術が基本になっている。
マンガのルーツは平安時代の鳥獣戯画にあるが、江戸時代には「赤本」というのがあって、これも全部マンガのようなものだった。ベストセラーは平積みしてあって、それを庶民が立ち読みしていたのだ。

当時の世界は植民地化が進む中で、こうした庶民文化が花開いていたのが「江戸」であり「江戸時代」なのだ。一方、ヨーロッパには王侯貴族がいて、その下は貧しい生活を強いられていた農奴。
だが、日本では百姓の子でも字が読めたのだ。欧米では5歳の子供が朝6時から夜12時まで働かされて、次々と死んでいた時代にだ。これは世界に誇れる状態だったのだ。

19世紀のパリは18世紀の江戸を真似て造ったと言われている。そして多くの画家が日本の浮世絵に影響を受け、印象派が生まれて行った。

日本人は日本の文化を愛してはいるが、どう見ても誇っているとは思えない。
だが、もっともっと誇っていいのだ。もしかすると、日本人は気付いていないだけで、実は今も世界の100年先を歩いているのかもしれないのだから。